佐久間象川

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zoom RSS 「盗った」、「真似た」の問題

<<   作成日時 : 2007/09/17 05:35   >>

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『「同じ」、「違う」とは何か』、という毎日新聞文科欄の記事があった。 「一つの価値観が暴走する社会に懸念」、との副題も付いていた。
2007/09/12(水)の渡辺裕(美学芸術学、東大)氏の上記標題の文章は、「イラン音楽―声の文化と即興」という、ご自分の専門外の本を読んだ感想である。
単なる読書感想を超えた文明論であり、社会警告である。

改めて言われて見ると、私などは今迄に考えたことのないアングルに目が開かされた、貴重な指摘である。  が、正直に言って、この記事の文章は、余り読み易くない。
これだけ、日常の常識から懸け離れた概念を伝えるのには、もう少し読者の立場に立って、説明に工夫を凝らして欲しかったと思う。


記事はまず、音楽演奏の「即興」とか、「創造性」とか、の話題から始めて、
何を以って、二つの楽曲の曲想とか、演奏とかを、「同じ」と見るか、「違う」と見るか、ということが、説明されている。
この「何を以って」が、イラン音楽と西洋音楽とでは違うというのが、先ず、私には驚きである。



西洋では、楽譜で一音ごとに比較して「同じ」とか「違う」とか言うのに対し、
イラン音楽では、楽譜の形では全く違って見えるものでも「同じ」フレーズだと言うことがあるし、逆に、楽譜に書けば同じであっても、「違う」ものは「違う」となる。

楽譜にすると以前にあったものと同じに見えても、それが「盗った」とか「真似た」とか言われない評価になる場合もある。



それは、西欧の音楽の認識の枠組みが楽譜に依って規定されるのに対し、イランのは違う。
文化の違いが、認識の根本的な在りかた、に関わるからである。


最近、中国の遊園地でミッキーマウスらしいキャラクターが無断で使用され、モラル欠如の国であるかのように報じられているがその話だって、
彼らが何を同じと認識しているのか、というところまで立ち返って考えれば、恐らくそんな単純な話で片付く事になるまい ・ ・ ・、
   と、この新聞記事は書いている。

価値観の違う文化が存在する事を、理解するように努めるのが必要だ、
 と私だって、従来も思っていた。 
しかし、楽曲の曲想を、「同じ」とか、「違う」とか見る基準とか、
「ミッキーマウスらしいキャラクターが」・・・ということが改めて語られると、
認識不足であったことを反省する。

★ ★  ★ ★  ★ ★ ★ ★

この新聞記事を読んで私が思い出したことが二つある。

第一は、ポアンカレーの有名な話。 
猿にタイプライターを与えて闇雲に打たせておくと、何万年かに一度ではあっても、シェークスピアの詩を打ち出す可能性がある(これが、シェークスピアでなく、俳句ならば、その様な可能性は一層高くなる訳である)。
その時に、その打出された紙片を貴重な文学的作品と呼ぶことが妥当であるか、どうか、の問題である。
 長くなるから、この議論は割愛する。

第二は、論文盗用の議論についての話
伝統文化と常識の変遷(3) 、に書いた、我々の世界では良く知られた話、 論文盗用の議論についての有名な話である。  その部分を引用する。
戦前の日本ではトップクラスの、某社の有名な中央研究所があり、社内のエリート技術者が集められて開発基礎研究を行なっていた。 そこに、国内外で有名な指導的な研究者A氏がいた。
ある時、A氏の部下の研究者Bが仕事の成果を外部に発表する許可を得る為に、A氏に原稿を見せた。
A氏はそれを預り、3行ほどの文章を手直しして書換え、自分の名前で学界雑誌に発表してしまった。
自分の業績を横取りされたと考えて、怒ったBが、
「あの論文の文章の99%は私が書いた」
と言うと、A氏は答えた。
「論文の本質的な部分は、僕が書いた3行である。
本質的な部分に寄与した人間の名前で、論文を発表するのが、学問の世界の常識である」、と。


イラン音楽と西洋音楽とでは違う、「何を以って」、の議論である。

我々は若い時に先輩にこの話を聞かされて、学問・芸術の世界では、本質的な部分と言うものが如何に大切か、の教育をされた。
そこで、前例のない発表でも、(「銅鉄主義」)の仕事は評価されない事も、この記事に書いた。

実は、この記事を書いた主目的は、「晩秋」のブログ記事は、自分の記事の盗用だと非難している「L」さんに見せて、さりげなく、嗜めることであった。
結局、上記研究所のB氏と同じで、「L」さんには理解出来ないレベル、の概念であった。


 この事を思い出したので、少し「晩秋」事件の話を続ける。

★ ★  ★ ★  ★ ★ ★ ★

先月、晩秋ブログが実質閉鎖することになった時に、我々の仲間はそれについていろいろと話し合い、晩秋氏に思い留まるように働きかけたりした。
ブログの世界では珍しい戦中派の老人仲間が居なくなる事が寂しいのと、もう一つは我々の仲間(特に「ピアニスト」君)、の影響で、その様な事態になった事に、拘りを感じたからであった。
当時ピアニスト君はブログの世界に疑問を持ち、自身のブログの閉鎖を考えていた。
晩秋氏がブログを閉鎖したのには、ピアニスト君と同様にブログの世界に疑問を持ち、ブログの継続をどうするかを考えていたことのほかに、もう一つマイナーな事情があった。

それは、丁度その頃、あるブロガー「L」が、晩秋氏にその記事文章を盗用されたと非難し、晩秋氏がクサッたことである。

ピアニスト君はブログを継続する事で収まったが、晩秋氏に影響を与えた事に責任を感じて、
久間事件・(8)・将棋の話
を晩秋氏の応援の意味で書いた。  将棋の話題にかこつけて、世の中には自分の見えていない、馬鹿な自信家が居るものだ、と言って、暗に晩秋氏を慰めようとしたものである。
 「往年のダンスホールの不良」であるピアニスト君は、野暮は、江戸っ子の最も軽蔑した処だが、と、暗に「L」を非難して、晩秋氏に同情を送った。

キャズ君も、▲ 旧制高校・晩秋ブログ挽歌、 を書き、晩秋氏を慰めた。
ある有名な私立大学でも、教師の話を正確に理解出来る学生は300人の内、3人くらいしか居ないのだから、話の分からないブロガーが居ても、気にするな、と晩秋氏を激励した。

★ ★  ★ ★  ★ ★ ★ ★

私が上記の、▲伝統文化と常識の変遷(3) 、を書き、論文盗用の議論についての有名な話を引用したのも、 Lを窘めた心算であった。
晩秋非難は、一応「L」が、その様に考えるのも分るが、盗む、真似る、ということは、そういうものではないよ、と私が注意したつもりであった。

元々、「L」の記事だって自身が取材したものでなく、新聞の受け売りであり、晩秋氏の記事の主要部分は、字数にしては少なくとも、訴えるポイントが「L」とは全く違っていた。
 然し、子供を相手ではないから、一字一句を取り上げて、ここがどう、という書き方でなかった。

「L」もその後多少軟化して、許してやっても良い、といった感じになったが、
自身が思い違いをして、済まないことをした、とは、ついぞ考えなかった。
人柄は悪くないが、オツムの弱いLには理解できなかったのだと思う。


★ ★  ★ ★  ★ ★ ★ ★

文化の違いがこの様に認識の根本的な在り方に関わる以上、異文化を理解するのは根本の部分まで立ち返らなければならない、
・・という新聞記事の話は、深く心に刻まなければいけない。 

価値観は、文化は、多様であるということが、全ての人に理解されているわけでない。
自国の一つの価値観を全てだと思っている指導者が居て、その価値観が暴走した一例が、イラク、イラン、に深入りした米国のブッシュで、その落し穴に嵌まった。

記事にあった、中国でミッキーマウスらしいキャラクターが無断で使用され、モラル欠如の国であるかのように報じられている話だって、
私はこの新聞記事を読むまでは、「彼らが何を同じと認識しているのか」、・・というところまで、考えたことはなかった。

晩秋事件の経験と、この新聞記事から学んだ事は、我々自身もブログを続けて行くならば、
従来の様にコメントやTBを受けた場合に、黙って掲載するのはよいが、

こちらの意見を副える場合には 相手の面子などは気にせずに、もっと直接に、「この3行の文章が・・・」、と指摘してやることが、必要なのである。
 「L」の面子を潰すなどと配慮する事が、結局は事態を悪化させた。


 この辺は、「思い遣り」を躾けられて育ったオールドジェネレーションの特に留意すべきところである。

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