佐久間象川

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zoom RSS 浦島ブログの準備(5A)

<<   作成日時 : 2013/09/30 17:46   >>

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          浦島ブログの準備(5A)
 [A-13] 歴史認識(2)、  、である。

   ★ ★ ★ ★ ★ ★  (ピアニスト・ブログの記事、のコピー)

1980年ごろだったと思う。 日本と米国が戦争をしたのを、大学生の娘が知らぬのに吃驚した父親が余りに大袈裟に驚いたのを見て、心配になった娘が翌日大学に行って同級生に訊いて回った。
『知っている人も居たが、知らない人も居た。 私一人が特別な無知ではないことが判って、安心した』
という話が新聞に載っていた。

が、それから四半世紀過ぎた2005年の現在、太平洋戦争(日米が闘った事)を知らない日本人が38%
 「05/6/28朝日新聞」
だというから、遠からず、それを知っている方が少数派で、変人扱いになる。


以上は、前回の「歴史認識(1)」を見た佐久間先輩に注意されたことである。
私が戦後世代の発言を批判がましく書いたのを見た佐久間氏が、
「次の世代は、戦争が有ったか無かったかを、主観の問題だ、と云うようになるよ」、と窘めてくれたのだった。
 (池田晶子)氏は戦争の有った事を知っているだけマシではないか、と言われた。


その時、実は私は「歴史認識(2)」の草稿を殆ど書き上げていた。

佐久間先輩のブログ、出逢いの問題 (8)終章(続):O君の評価、にある話の

●山本周五郎の「樅の木は残った」の話。伊達騒動の悪の張本人とされて来た
原田甲斐が、実は大忠臣で、金も要らぬ、地位も要らぬ、名も要らぬ、「歴史に悪名を残しても」程度でなく、仕事の出来栄えが立派であればあるほど、その汚名が確定する役回りを引き受ける凄さ。「樅の木」の主題。
●司馬遼太郎の慎重さを以ってしても、尚且つ
乃木将軍の評価 を誤って、軍人として無能であったとした。 実は乃木は、当時としては世界でも例外的な名将であったことが、1905年になって旧ソ連の資料で初めて明らかになった。その様な事実が有ったのに彼は生存中は一切批判への釈明をしなかった話。
●徳川時代最悪の悪徳政治家との定評ある
田沼意次は、実は逆に極めて優れた政治家であったが、それが何故現在に伝えられるような評価を受けるに至ったかの解説。(大石慎三郎の著書:1992/2)
   等に少し補足をした文章を書いていた。

この様な事例を見てくると、有名な人物でも、歴史家の評価でも、人間の値踏みは難しい。
特に、乃木希典、原田甲斐のように、人を相手とせず、神仏の前で愧じない人生を歩むことだけを志した人間の評価、業績の判定、は人間には出来ないことだろう。
そして同時に世間で語られる人物評価は、自分の眼で確認しない内は私は信じないことにしたい。


ということを書いていた。
ここまで書いてきた処で、冒頭の佐久間先輩の注意を受けて、気が付いた。


伊達騒動、原田甲斐、乃木大将、などと言っても現代の若者は勿論、そのもう一つ上の世代でも知らないのではないか。
それらを引き合いに出しても、話の筋を理解して貰う事は出来ないのでないかと考えて、

上の佐久間氏の文章への補足を公開することを止めた。


それならば、前置きを省いて、直接に目的地に着陸しようと思う。

実は、佐久間先輩が書いた、「デノミの勧め・2」大学と大学教授、の中にある「大学名誉教授の話」である。

これもY君に聞いた話だから、佐久間先輩の記事と出所は同一である。
但し先輩と違って、私にはY君は遠慮の無い話を聞かせてくれるので、知り得た話である。

確かにY君の大学で名誉教授称号を業績の無い人物に安売りするのは褒めた話では無いにしても、大して問題で無い。
しかし、業績のある人物を除外した上でそれが行なわれているならば、それは滅茶苦茶である。


★大学紛争の最中にゲバ学生に突上げられて、Y君の大学のM学長は教授会構成員に学生を加えようとした。
それを決める教授会で、殆ど全ての教授が沈黙して決まりそうになった時に反対の発言をして、その決定を阻止したのは、本来教授会では発言権の無い庶務課長O氏と、O教授であった。
その直後にM学長は辞職し、O教授が学長代行になって学内に機動隊を導入し紛争を収めた。
当時、同様な状況で教授会規則を改定して構成員に学生を加えた国立大学が幾つか有ったが、紛争のシーズンが過ぎると文部省に苛められて予算その他で大層な不利益を蒙り、その回復に大変な時間と労力を要した。


Y君の大学がその後有利な歩み方を出来たのは、あの時に教授会規則改定を阻止した庶務課長O氏と、O教授の功績であった。


★しかし大学教授共には、学内に機動隊導入をした事実は誠に不人気であった。
その他にどの様な手立てが有ったかの話は抜きにして、「機動隊導入」は許し難い事
であった。
紛争が収まると学長代行から空席の学長に昇格しても不思議のなかったO教授はそうはならなかった。  それだけでなく、


Y君の大学で最大の危機の時に会議で沈黙を守った教授達に安売りするようになった名誉教授称号を、O教授には贈っていない。


実は、私が「歴史認識」の記事を書いて世間で語られる歴史評価、人物評価というものがあやふやである事を言おうと考えたのは、
佐久間先輩が書いた「デノミの勧め・2」に絡んでのこの名誉教授の話と、
「出逢い7,8」のO君の話を見てのことであった。


しかし、考えてみると、今の若い人は、「昔、大学紛争というものがあった」、のは知らぬ人が増えているだろうし、銀行の業務形態が今と昔でその様な差の有った事等知らないだろうから、何処まで理解して頂けるかは期待を待たない方が良いだろう。

ただ私の見た真実を書き残しておく事が、意味があると信じている。

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