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zoom RSS 浦島ブログの準備(8B)

<<   作成日時 : 2013/10/05 09:33   >>

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浦島ブログの準備(8A):[B-223]、に紹介されている、ピアニスト・ブログの(14番目)の記事: 
     ★[A-15]:  広島原爆60周年(2)
、 を新ブログの記事に相応しい形に改造する。

   ★ ★ ★ ★ ★ ★  (ピアニスト・ブログの記事、の改造案)

終戦後60 年という事で連日マスメデイアに、終戦時の連合国側、日本側の終戦に向けての諸事情や、原爆開発の話が、新規資料に基づいて、多く報道されている。
日本に原爆を投下すべきか否かを巡る米国内の両論の息詰まる様な折衝過程など、今まで知られて居なかった話が多くて、従来も断片的に耳にして来た事も、諸事情を纏めて話を聞くと納得のいくことが多い。
前回の記事「広島原爆60周年(1)」に紹介した、変人キャズの「人類滅亡論・3」の中の

ハイゼンベルグの手紙の話なども、1945/7/17のシラード達の運動の話との関連で理解出来るのである。

しかし、それで歴史の理解が進むかに就いては、私はまた非常に不安、にも駆られる。
と言うのは、日米が闘ったことを知らぬ人が38%という現在の日本人の多くは戦後生まれ、でなくとも、戦争体験を大人の眼で見てきた人達ではない。

太平洋戦争の有った事は知っていても、身近な体験として承知している人は非常に少ないということだ。
おのずから、終戦時の報道を目にしても,実体験のある世代とは受取り方が異なるであろう。


部分的には正確な情報であっても、其れを目にする時に、体験的知識としてその時代背景を知っているのと、知らないのとでは、大差がある。

例えばイスラム社会では自爆テロが随分と頻発するが、最近40年ほどの間に、戦争は勿論のこと、政治腐敗を憤っての自爆テロなど、唯の一件も無かった日本の社会しか見ていない若者には、彼等の心情等全く理解出来ないであろう。(特攻隊志願→:
▲ 一戦中派の感慨 一戦中派の感慨:[A-4]:[2005/3/25] 参照)
 

私より若い世代は最近の中国、韓国の対日姿勢に単純に立腹するが、戦中派の私等は大分受け止め方が違う、のも同様である。

例えば、原爆など使わなくても日本は降伏するに決まっていたものを、云々、と言う議論を良く目にする。 戦争中を通過してきた私はこの様な議論には非常に懐疑的になる。

1945 年8 月15日に至っても尚、日本が降伏するかどうかは不明であったのを、私より若い人達は何処まで承知しているだろうか。
と言うよりも、説明を聞いても理解出来ないのではないか。
昭和天皇が大層心配して終戦の詔勅を録音し、其れをラヂオ放送する手筈を整えた後でも未だ、その録音盤を奪い取って放送を阻止し、場合に依っては天皇の首をスゲ変えてでも戦争を継続しようという動きがあった。  彼等がすんでの処で録音盤を奪取し損ねたために、終戦が実現したのである。
前線の狂信的な一部の軍人でない。千代田区の皇居内でこの様な活劇が現実に有ったのだ。


勿論、広島、長崎の原爆が投下された後の事である。
戦争の怖ろしさとは、こういうことである。
 

毎日新聞論説委員が1945/8/10 の時点で既に、終戦が決まったとの情報を入手していたとの話が2005/8/7の毎日新聞に掲載されている。 それは決して8/15の終戦を保障するものではなかった。
実は、ほぼ同時期8/11に私も同様な情報を得ていた。  田舎の一民間人にさえもその様な情報が漏れる状況の中で尚且つ、8/15の午前まで実際の終戦の行方が不確実であったのが現実である。
『風にそよぐ葦』を書いた石川達三は「葦をなぎ倒した風」を軍部ではなく、大衆世論だと考えていた。 原爆を使われても未だ、日本は降伏するに決まっていたのではなかった。
物の弾みでどの様なことが起るか分らぬ中で、天皇でさえ決死の覚悟で、終戦に持って行ったのだ。


日本にあっては、ソ連への仲介依頼による終戦だけが模索されていたことが不幸であった。  若しも、違ったルートでの終戦が選択されていたならば、旧満州の悲劇も、原爆の悲劇も無かったかも知れない、と思うと誠に残念である。

 ▲4/5 小磯内閣総辞職、鈴木貫太郎に組閣命令。戦艦大和に沖縄への水上特攻命令
 ▲5月:最高戦争指導会議はソ連に和平仲介の打診を申合わせ
 ▲6/8 御前会議(本土決戦の基本大綱)、重臣会議。木戸「対策(戦争終結)試案」作成開始
この辺の日程には、21世紀の現在に振返ってみると、本当に残念な判断ミスが続く。しかし、当時の権力派でない人人が精一杯頑張ってくれたことは分かる。
正直の所、私もソ連などをまともな相手と考えていた当時の指導者は迂闊すぎたと思う。
しかし、原爆の開発状況とか、ヤルタ、ポツダムの舞台裏とか、情報の欠如で仕方無かった部分も多かった。

繰返す。資料に依って歴史的事実が判明してくる事と、それを正しく理解する事との間には、可也大きな距離がある、と思うのである。

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