佐久間象川

アクセスカウンタ

zoom RSS 有栖川宮に関するメモ

<<   作成日時 : 2014/08/10 19:50   >>

トラックバック 1 / コメント 0

有栖川宮 熾仁親王( たるひとしんのう)、の履歴
   ★ ★ ★ ★ ★ ★
天保6(1835)年2月19日― 明治28年(1895)年1月15日

幕末に和宮親子内親王と婚約していたことで知られる。
和宮との婚約は時の政治情勢により反故となり、
徳川斉昭の娘で慶喜の妹の徳川貞子を、
  (明治維新後に)最初の妃として迎える。 

     貞子は婚儀の2年後、23歳で病没。
   明治6年(1873年)7月に旧越後新発田藩主・
     溝口溝口直溥の七女・菫子と再婚した。

戊辰戦争〈1868〉で東征大総督になる
   ー − − ( {宮さん宮さん}の唄で有名)。

   史上二人目の陸軍大将であり、
   皇族の第一人者として、明治天皇の絶大な信任があった。

   ★ ★ ★ ★ ★ ★ 
   明治になってからのことだが、或る時、有栖川宮は
      長野市に赴き、善光寺に宿泊した。
一口に善光寺というが、法事や来訪者の宿泊、食事
  などの具体的な世話は、其処にある
  大勧進と大本願の 二つの寺院施設で行う。
  有栖川宮の接待も其処で行われた。

夕食の接待に寺院では、幼少な女児を侍らせて接遇した。
その幼女がまめまめしく対応するのに、有栖川宮は満足し、
食事を終えた後で、幼女と花札遊びを始めた。

この花札競技には幼女が勝利した。 すると、幼女は
   何時も自宅で遊ぶ時と同じに、
   相手の顔に筆で墨を塗る、と言い出した。
これには、有栖川宮は勿論だが、その周囲に居た
   人達は驚き、それをしないように説得したが
   幼女は頑として聞かず主張を続けた。

   ★ ★ ★ ★ ★ ★
善光寺のお偉方を困惑させたこの幼女は、
    善光寺の門前町である元善町に住んでいた、
山川(佐々木)すい(1870〜1933)、である。

   ★ 60年前の回想(1):[C-202][2010/3/28]
に書かれているY君は、この山川すいの孫だから
彼女のDNAを受け継いでいる。
 遺伝というモノの怖ろしさ、を感じさせる実話である。
更に,有栖川宮とY君の誕生日が同じ日であるのも,
,何か因縁めいたものを感じさせる事実である。


テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(1件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
研究者と社会
理学研究所発生・再生科学総合研究センタ(CDB,神戸市)の 笹井芳樹 副センター長(52)が、8月5日に自殺した。     同氏はCDBと隣接する先端医療センター内で       首を吊った状態で5日午前に見付かった。 ...続きを見る
佐久間象川
2014/08/16 03:10

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
有栖川宮に関するメモ 佐久間象川/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる