エプリルフール

★ 大という字に点を一つ付けると犬になるし、天にチョンを付けると矢になる。 漢字は一寸手を加えて別の文字に化かす事は容易である。 
2年ほど前のエプリルフールの日に友人のA君はこれを利用してグループの人達を担いだ。
ある一流ホールで上演されるオペラの出演者の名前の中に、上記のような加筆をする事により彼の名前になるものがあるのを発見し、悪戯をしたのだ。
 

その歌手は超有名な主役でなく、さりとて非常に小さな文字で印刷される端役でないのも好都合である。
上演予告案内印刷物のパンフレットの、配役リストの文字に手を加えたものを、グループの人達に見せて回った所、彼が音楽好きである事もあり、全員がみごと騙された。  中にはそのポスターを掲示板に貼った人まで居た。
その日の夕刻、A夫人はその真相を暴露し、仲間の人達に詫びて回った。

殆どの人が「やられた」と言って笑った中で、何人かの人物がA君の悪戯を納得せずに怒った


★ 欧米でのエプリルフールの悪戯はもっと遥かに手の込んだものがあり、IT関係のプログラム言語「ジャバ」で有名なサンマイクロ社の企業内悪戯は桁外れである。
同社に限らずシリコンバレーの企業文化には[遊び」がある。
日本でも電子産業の隆盛期を背負った、ソニーの菊池誠、東北大の西沢潤一、他の技術者達の落語好きは周知の事だったから、
この種の「遊び心」と電子技術は本質的な繫がりが有るのかも知れない。 
そう云えば、日本でも戦後の一時期は四月一日は要注意とされた事もあったが、電子時術も嘗て程でなくなった最近は、エプリエウフール遊びは、あまり流行らないらしい。

イタズラ好きで4月一日に限らず愉しんでいた人物の代表格は遠藤周作で、著名なカトリック信者の氏はダンスを愛し、月に一度 「人を騙す会」 を開いていた。
「生活と人生は別物」という持論の持ち主で、特に「電話魔ぶり」は多くの被害者を産んだ。


それは兎も角、この種の悪戯を本気になって怒るような人物を、昔は 「野暮」 と言った。
野暮は江戸っ子や風流人の最も嫌い、軽蔑する所であり、落語のネタにもなった。



現在は将棋も囲碁も座敷とか、クラブなどでお行儀良く正座して指す。
が昔の将棋は、屋外で空口を敲きながらの縁台将棋が多く、庶民的であり、囲碁が上品なお座敷芸と見られていたのと対照的であった。
意想外な手を指された相手が困って考え込んで、「そうか」「そうか」を連発すると、「草加、越谷は千住の先」等と言って茶化す。
からかわれた方は益々頭に血が昇りカッカッとする。 その辺の盤外のやり取りがまた遊びの楽しみでもあった。
時にはその軽口が元で揉めたりする事も無いではなかったが、それをする人物は仲間から「野暮」のレッテルを貼られて軽蔑された。

★上記「草加、越谷」の様な、この種の将棋の茶化し言葉の定番のようなものが数十有って、昔は棋譜記録ノートなどに印刷されて載っていたものである。
昭和の後半になり、昔の会所に替わって各地に将棋センターが出来るようになって、この辺の様子は変化した。
素人もプロ棋士の様に終始無言で対局するのが普通になり、うっかり上記の戯言などを言って絡まれて喧嘩になる場面も私は見た。 

つまり世の中全般が「野暮」になったのである。
雑言を飛ばさずに対局する方が上品なのだろうか。
「エプリルフール」の悪戯、「将棋」の戯言、この種の生活文化の消失は、社会の進歩なのだろうか



昔は対局に負ければ悔しがったが、今は怒る、の違いがある。
地域の施設で多少腕自慢の男が、自分よりも強い男が顔を出すと、「デブ」だとか「禿げ」だとかその人の身体的特徴を大声で喚き立てて居辛くして追い払い、そこに居る中では自分が最強だという状況を作ったり、場合に依っては人目に付かぬように上位者に暴力を振るってその施設に来ないようにする。
ゲームの技量で負けるとこの様なことをするのは、昔は絶対に無かった事で、人間社会が動物社会に逆行しつつある現象の一つに見える。


腕力でなく知性で、他の動物に比べて地球上の優位を築いてきた人類は「言語」とか「社会的規範」でその優位を勝ち取ってきた。
 今は、少なくとも日本では、音を立ててそれが崩れつつある。

TVアナウンサーの日本語(語彙、アクセント含めて)の出鱈目さで学校での国語教育が破壊されている姿を見、TV画面に映る出演者の食事マナー(箸の持ち方から始まり、一切合財)の影響力の眼には家庭での躾などトテモ勝てないのを感じる時に、私は高柳健二郎の責任を考えた


今回は長くなるので論理的な経路は省略するが、私の結論は日本に於ける明治以来の法科万能の社会が悪かったのである。 

私の尊敬する佐久間象山は、時代に先駆けた先見の明の持ち主であったが、その象山と同じ松代の街で(従って、同じ空気と水の中で) 生まれ育ったある若い女性の、野暮さ加減に先年呆れ返ったことがあった。
この若者は法律を勉強していた。  条文のくそ暗記やら、その形骸的適用力で官吏登用を行なってきた来た制度の流した害毒を考える。

人類の生存に大切なのは「汚染されない空気と水」だけでない。

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    Excerpt: 人間の評価というものは、事件の現場に居合わせた人の眼で見ても、また歴史家の手を経ても尚、正鵠は期し難いものである。 私の見解では、人類の歩みに本当に素晴らしい寄与をした人々は、名を残す事にすら拘らな.. Weblog: 佐久間象川 racked: 2006-03-11 17:48