「人間の評価」に就いて(1)救国の人

人間の評価というものは、事件の現場に居合わせた人の眼で見ても、また歴史家の手を経ても尚、正鵠は期し難いものである。
私の見解では、人類の歩みに本当に素晴らしい寄与をした人々は、名を残す事にすら拘らなかった。
唯、本人と神との対話の中で己の生き様を決めて行ったように思えてならない。
然し遺された者の務めとしては、真っ当な評価を贈るのが務めだと思うのである


薩長の藩閥によって明治政権が成立したからには、その後の日本の歴史教科書では、その系統の人物が褒め上げられ、旧幕府側の人物が不当な評価を与えられたり、無視されたりしたのは自然の流れであった。
然し、日清・日露戦争の頃に歓声を挙げて迎えた20世紀も、世界史の中で見ると共産主義体制の崩壊と共に終焉し、科学技術文明の栄光にも翳りの見えてきた21世紀の入り口に立つ現在、
日本の歴史に寄与した人人の評価を見直すのも意義のあることであろう。


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最近、私は郷里の先達が実に偉大な業績を残していた事を初めて知って驚いた。
郷里の後輩のために、この事は注意を喚起しておかなければならない、と思ったのである。


アジア、アフリカ、中南米、多くの国々がヨーロッパ諸国の植民地になり、属国としての苦難の歴史を持っているのに我国は一度もそれを経験していない。 平素特にこれを意識した事はないが、我国は実に幸運に過ごして来れたものである。
元寇の危機についてはある程度は知っているが、幕末の危機に就いては我々は殆ど意識した事がない。 然し実は間一髪の所で、その危険を脱したのである。
そして、それに就いては松代藩主、真田信濃守幸貫の貢献が有った事を今回知ったのである。

わが郷里、信州の名門真田家には代々名君が多かったが、幕末の真田信濃守幸貫も英明の大名であった。
私は幼少のころ信濃郷土叢書でこの名君の事跡の話を読み、未だに可也明瞭に記憶しているが、ごく最近まで知らなかった事がある。
或いは書いてあったことだが、それを読んだ頃の幼少の私にはその意義が理解できなくて、記憶に残らなかったのかも知れない。

ことは天保13年(1842)7月に、幕府がそれまでの外国船打ち払い令を改めて、「薪水令」に切替えた件である。
この時本丸老中水野忠邦は、老中の合議でなく当時の幕閣3人だけの専断で決めた。
 その水野忠邦を除く2人の内に、真田幸貫の名があった。


この年に英国は清と南京条約を締結して香港を割譲させ、上海・広州などを開港させている。
幕府はアヘン戦争の情報を得ていたから、緊急の対応の為には、毎度の様な悠長な老中協議等していてはとても間に合わず、その後の日本の国家的独立も危うい状態にあることを、理解出来るだけの情報は有ったのであった。

人類の歴史に於いて、情報が有りながら正しい対処が出来ずに道を誤った例は、枚挙に暇がない。
古くは、予知能力を持つ王女カサンドラの警告を無視して、トロイが木馬を城内に運び込んだ失敗がある。
歴史を後から見ると、折角の情報が有りながら、何と愚かな対応をしたのだろうと思う事の方が寧ろ多い。



あの時に幕府が外国船打ち払い令を改めて、「薪水令」に切替えた決断は、その後の日本が、多くのアジアの国々のように欧米諸国の植民地・属国とならずに来られた決定打であり、
それが出来たのもこの時の、幕閣3人の専断のお陰である。


この事を思うと、日本の近・現代史に於いて国運を誤らなかった偉人として、水野忠邦と、真田幸貫の名前はもっと高く評価されて然るべきである。

気楽に攘夷を唱え、外国船に大砲をぶっ放した薩長の連中が当時の国政に参加していたのでなかった事が、実に幸せであった。
でも、こうして守られた日本の主権は、その後薩長の牛耳る所となり、水野、真田の功績は語り継がれる事はなかった。


松代藩八代藩主の真田幸貫は奥州白川藩主・松平定信の家から養子に入った人で、上記の件の前年に幕府老中の大任を帯び海防係を担当した。
これに就いては、水野忠邦が予め幸貫の人物を見込んで、その様に手配しておいたもの、と想像できる。


★現在では佐久間象山の名は有名であり、多くの人が知るのに対して真田幸貫は余り知られていないため、この件はブレインである象山の意見で幸貫が動いたかのように受け取られかねない。
が、実はそうではなくて,象山は明白に、「拙者は幸貫侯を師と仰いでいる」、と言っている。

天下の優れた人材が挙って慕ってきた象山も、山国の小藩である松代藩内では大層評判が悪く、「偏狭にして度量なし」と評されており、京都で彼が暗殺された時にも、地元では同情の声がないばかりか、屋敷地を取上げられたり、遺児に蟄居が命じられたりした位である。
象山を重用した幸貫でさえ、象山のことを「才知と申し非常な人物に候処、惜しむべし明徳暗く、衆人との付き合いみな敵となり、云々」と書き記しているが、「傷は多いが天下の英雄になれる男」、と評して引き立てたのであった。
藩主、真田幸貫が、家臣である象山の才能を育てたのである。



佐久間象山の、時代に先駆けた見識・所業は、一般にも良く知られている。 彼の弟子の中では、勝安芳と吉田松陰が特に有名である。
象山は良く出来た二人の妾が居たのに勝の妹を妻に迎え、勝は象山に「海舟」の号を貰った。
松蔭が鎖国の禁を破って下田からのアメリカ渡航に失敗したため師である象山も小伝馬町の牢に繋がれた。
この他、小林虎三郎、橋本佐内、河合継之助、高杉晋作、中岡慎太郎、後の軍医総監石黒忠真など多くの優れた人材たちが、彼を慕って来た事なども良く知られている。


天下の優れた人材が挙って慕ってきた象山も、松代藩内でその朋輩達には大層評判が悪かった。
これを逆に言うと、藩の大多数の人物は程度が悪くて、象山の偉さを理解出来なかったということである。
現時点でこれだけ評価が高いと、当時も周囲の人人からは畏敬されていたように思いがちだが、実際はそうでなく、上述の様に地元では嫌われ者で、幸貫有っての象山であった。

水野忠邦が本当に信頼できると見込まなかったならば、たった3人だけの専断でこの重大決定をする仲間に、この小藩の藩主を入れる筈がない。
幸貫がブレインである象山の意見で動いたというのでなく、寧ろ逆なのであろうと思う。



小林一茶もそうであるが、雪国信州には、この様な桁外れな資質を持ちながら、「惜しむべし明徳暗く、衆人との付き合いみな敵となり、」といった人物が産まれる。
象山を重用した幸貫のような人物が居ない時には、その才能は無為に消失するのである。


★先に私が( 「エプリルフール」)に書いた、程度の悪い松代の女性を引き合いに出すまでもなく、松代の水を飲んで育てば、優れた人物になるのではない。
昨年、キャズ君が偶然旅先で出会った凄い女性の話が(海外旅行(3))にある。
そして、間違いなくその女性と幼時に交流の有った筈のピアニスト君の意見が、(「出逢い」に想う(1))、に綴られている。
昭和の長野には、この女性の偉さを発掘する幸貫が居なかったので、彼女は海外に流出したのである。
  そして寧ろこの方が、普通に起る事である。



象山の偉大さを活かした真田幸貫は偉大だと思うのである。  しかし、幸貫の方は、現在世間一般には象山程の知名度は無い。
更に、上記の天保13年の歴史的な国難を克服した業績に至っては、地元の私でも無知であった。
歴史家による人間評価とは、この様なものかも知れない。

昭和に入っての軍閥の暴走を止めることの出来た人物が居なかったこと、太平洋戦争を回避させた人物が居なかったこと、等等を思うと、あの人の力で国難を乗り切ったと言える偉人は真に少ない。
最近200年間の日本を救った偉人は
江戸城を明け渡した勝海舟、ポーツマス条約を纏めて日露講和を成立させた小村寿太郎、とこの時の水野忠邦と真田幸貫の名を挙げるべきだ
と、私は思う。




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人間の評価というものは正鵠は期し難いものであり、歴史家の手を経ても尚、無視されてきた、もう一人の忘れられた名前は、小栗豊後守である。
文久元年(1861)にロシアの軍艦ポサドニック号がつしまに強行上陸して領有を狙った時に幕府から現地に派遣された外国奉行である。  (薩長の藩閥によって明治政権が成立したので、その後の日本の歴史教科書で旧幕府側の人物が不当な評価を与えられた、別の例)

小栗は現地での解決が不可能と見ると交渉半ばで江戸に引揚げてしまったため、尊皇攘夷派の志士たちの怒りを買った。
江戸に帰った小栗は、外国からの借款による製鉄、造船のプラント建設を猛烈に主張し、幕府の保守派から袋叩きに会いながら 1864 年に横須賀製鉄所建設計画を通した。

当時の水準で東洋一の規模であるこの大プラントが完成した時には、時代は既に明治となり、小栗は新政府により処刑されていた。
1905 年5月27日に日本海海戦で、ロシア艦隊を全滅させた日本連合艦隊の艦船を生み出した母体が、この横浜製鉄所であった。


日本海海戦の勝利を語る時に、東郷平八郎の名前しか出さないのは、不当なのである。

この記事へのコメント

Alps
2006年03月12日 10:21
スポンサーから金を出してもらい、其の金でノーマル・ルートを取って登頂を果たし、マスコミに登場する人が居る。しかし一切の経費は自分で稼いだ金でまかない、最難関のルートに挑戦して登頂しながら、マスコミには騒がれない最強のクライマーのことは多くの人は知らない。
これと本論に何か共通したものを感じる。特に、
「あの時に幕府が外国船打ち払い令を改めて、「薪水令」に切替えた決断は、その後の日本が、多くのアジアの国々のように欧米諸国の植民地・属国とならずに来られた決定打であり、それが出来たのもこの時の、幕閣3人の専断のお陰である。」
「気楽に攘夷を唱え、外国船に大砲をぶっ放した薩長の連中が当時の国政に参加していたのでなかった事が、実に幸せであった。 でも、こうして守られた日本の主権は薩長の牛耳る所となり、水野、真田への評価は語り継がれる事にならなかった。」
のくだりは、歴史上の事実として身につまされて実感として感じる。わが母郷にこのような偉人が居た事を知って嬉しく思う。
瑣末の事ながら5月28日は27日の間違いだろう。
佐久間象川
2006年03月13日 08:28
Alps さんへ
ご共感を頂いて嬉しく思います。
全く思い掛けない事を知って舞い上がり、夢中で筆を走らせて、27日を 28日とインプットしてしまいました。
ご注意を有難う御座いました。
佐久間幸貫のことを「信濃の国」が作られた頃には歌い込むのは無理だったのでしょうが、郷里の人に知られていないのは残念ですね
信州和算資料目録
2006年05月04日 09:02
場違いの質問かと存じますが、ご存じでしたらご示教下さいませ。幸貫公の命で嘉永年間に山寺常山の指図により松代封内の製図(六千分之一)を行った最上流和算家東福寺泰作がいます。かれは、ペリー艦隊渡航以来は佐久間象山に従い、沼海の測量に従事し象山の海防策の上に根拠を与えた、と云われています。東福寺泰作の活躍する場面を具体的に記した「文書」があるのでしょうか?『沓野日記』は未読ですが・・・。
佐久間象川
2006年05月05日 05:24
信州和算資料目録様:
私共のグループは全員、現役時代は産業界等で実務に従事してきた者で、歴史も学問も縁遠い者ばかりです。
お尋ねの様なことは全く知らないので、寧ろご教示戴ければ嬉しく存じます。
2009年08月23日 14:16
コメントするつもりがトラックバックに書いてしまいました。すみません。

「「人間の評価」に就いて(1)救国の人」について有名になった人は後ろ盾になった人がいる。佐久間象山には真田幸貫、小林一茶には夏目成美、伊能忠敬には高橋至時、葛飾北斎には高井鴻山… 確かに真田幸貫・佐久間象山のような正しく人を導く人物がいたら軍部の帝国主義独裁をおさえ太平洋戦争はまぬがれただろう。原爆の投下もなかっただろう。もし、もっと戦争が長引いていたら松代に大本営が移り原爆が落とされただろうと思うと恐ろしい。そうならないように佐久間象山のような先見の明が必要だ。
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2009年08月23日 16:51
有名になった人は後ろ盾になった人がいる。佐久間象山には真田幸貫、小林一茶には夏目成美、伊能忠敬には高橋至時、葛飾北斎には高井鴻山… 確かに真田幸貫・佐久間象山のような正しく人を導く人物がいたら軍部の帝国主義独裁をおさえ太平洋戦争はまぬがれただろう。原爆の投下もなかっただろう。もし、もっと戦争が長引いていたら松代に大本営が移り原爆が落とされただろうと思うと恐ろしい。そうならないように佐久間象山のような先見の明が必要だ。

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