「桜井よしこ氏教育勅語を激賞」関連記事のコメント、への返答

「桜井よしこ氏教育勅語を激賞」関連記事」、のコメントの中で、陸軍機密費さんに、「昨日引用の「ブログ一周年」の佐久間のように、生ぬるい事を言っているから、戦後社会で日教組にのさばられてしまった。 桜井さんの様に勇ましく発言しないとダメ」、と非難された。  私の考えを述べる。

昨年秋、友人の葬儀の会場で桜井さんと御会いした。 御面識はないが、先方のお顔は存じ上げている。 会場で視線を感じたから、或いは先方も当方をご存知かも知らない。
私は思想的には、桜井さんと割合に近い考え方を、持っている。 この亡くなった友人も私共に近い考え方の人物であったから、そんな事から桜井さんも接点があって、葬儀にお見えになったのだろう。

帰路、葬儀会場を出て地下鉄の駅まで可也の距離を、桜井さんと殆ど肩を並べる位の位置で、前後して歩いた。  余程、声を掛けてご挨拶しようかとも思ったが、矢張り止めて知らん振りで通した。

私は桜井さんと近い考え方を持っている、と言ったが、しかし、全く同じではない。  あの強烈さには、とても附いて行けないどころか、寧ろ私は批判も持っている。
共通の友人の葬儀の帰路に変に共鳴し、それから長話になり、次に細部に於いて意見の相違を論争して気まずく帰る、などとなってはいけないと考えて、声を掛けるのを止めた。


ブログの世界でも、TBやコメントを入れ合って近しい意見の持ち主でも、100%同じ、という事はない。
このブログ記事を書いているITUKYUUさんとだって、私は考え方は近いが主張の違うことが有る。 例えば、ピアニスト君と同じ感覚の [歴史認識]を持つ私は、ITUKYUUさんと随分と意見が違う。
それは、生きた時代が違うのだから当然である。


親しい友人でも、主張に相違があっても良い。
何を最も大切に思うか、ここだけは譲れないと思うか、人間夫々に応じた主張と言うか、生き様が有ると思う。
その許容出来る範囲の大きさが、真友、同志、親友、友人、知人、隣人、無縁の人、敵、の分疑点である。

私は自分なりに、最も大切なものを保全して生きてきた心算でいる。

この記事へのコメント

2006年04月17日 18:55
先生のご意見は,良く理解出来ます。如何しても人間である以上、何処かに相違点が存在します。加えて、最近の人達には、自分の主張・絶対の感覚が非常に多いです。私等も其のクチですから、良く理解出来ます。特にトラブルのが、≪中韓朝エージェント≫に類する人物で、面倒くさいと思う時は、私の様に【それが如何した】とはいかないもの。年を取ると、煩わしくなるのが先の様です。
2006年04月17日 21:39
始めまして。いつも拝見しております。今日は表題を見て大変驚きました。「桜井よしこ氏教育勅語を激賞する」は私のエントリーだったからです。私の論旨が殆どスルーされてこちらまで到達したことは、ブログで公開した以上文句は言わないけれど、違和感があります。
 桜井よしこ氏の論は過激なだけで、共感できるところは殆どありません。逆に見れば教育勅語や天皇制を本当に分かっているのかと思う時もあります。
  [歴史認識(1)]にもコメントさせていただいておりますが、私のブログにいくつか歴史テーマを書いておりますのでお読み頂けたら幸せに思います。
セシリア
2006年04月29日 18:12
私は教育勅語を復活させることを希望するものです。
今の時代そのままの復活は無理としても、あの内容は
素晴らしい。心にしみるものがある。
修身も、必要です。櫻井さんは、過激ではない。
当たり前の事を言ってるだけ。
わたくしも、全てに共感する訳ではないのですが。

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    Excerpt: 飯大蔵様: [(「桜井よしこ氏教育勅語を激賞」関連記事)、のコメントへの返答]、にコメントを頂き、拝見しました。 正直な気持ちは、車を運転していて、悪意は無くとも泥水を跳ね上げて、他人様の着衣を汚.. Weblog: 佐久間象川 racked: 2006-04-18 17:54