「浜松からオートバイが姿を消す」を見て

★Alpsブログの記事、「浜松からピアノが姿を消す」、を見て、私が心騒ぐ思いを、 「カルタゴの旅」補足[B-23]、に書いたのだが、
今回、記事「浜松からオートバイが姿を消す」を見ては、本当に言葉を失う。

ホンダが、オートバイの生産機能を、浜松製作所から、熊本に移すことになった、という。 先立って、スズキと、ヤマハ発動機も、浜松から生産拠点を移している。
従って、今度のホンダの生産機能移行に伴って、日本の三大メーカーを生んだ浜松から、オートバイの完成品生産拠点が、完全に消えることになるのだという。

浜松は、一体どうなってしまうのだろうか


”ホンダ”で私が先ず頭に浮かぶのは、「スーパーカブ」である。

私は、あのバイクを、誕生・発売の初年度から乗って、通勤に使用していた。
メモ魔の私は、毎日の走行距離、給油実績を克明に記録していたから、あの名車の性能の良さは、実績に基づいて承知している。
大抵、どの様な工業製品でも、カタログ性能は、現実の使用状況では達成されないものである。

所が、あのバイクは逆であった。
最高速度を、何処まで出したか、は書く訳には行かない。

燃費は1リットル当たり90キロメートル、とカタログに書かれていたのに、私の記録では、リットル当り90キロ以上走り、100キロを越した事すらあった。

確かに、私は技術者のプライドにかけて、オイル交換を念入りに実施し、路上走行中も惰性を有効に利用する走法で、無駄なエネルギー損失は生じないように、注意を払う運転を心掛けていたから、一般の人に較べれば、燃費が優れていて当然である。

しかし、走行距離が1万キロを越すまで、カタログ性能以上だった。
路上走行、それも、時には東京都心の渋滞地域を走ってのデータである。
走行距離が2万キロを越しても、未だ、燃費70キロ以上であった。
誕生以来、数十年の年月を経過して、現在も昔と全く同じ形の”ホンダ・スーパーカブ”が販売され、実用され続けているのは、流行ではない、本物の「性能」とか、「技術」に対する信頼の証で有ろう。


あの常識外れの高性能な車を作った、本田宗一郎という人物は凄い人だと、同じ技術者として、私は尊敬している。
企業誕生の地から工場が消える、との話は本当に切ない思いである。


ただ、私の記憶違いなら良いのだが、浜松の町は、本田宗一郎氏を大切にしなかった、と何処かで読んだような記憶がある。
御前崎初訪問の旅:[C-110]、 を書いたキャズ君とともに、浜松市民を好きな私としては、そのことも、些か気持に引っ掛かるのだが。

この記事へのコメント

Alps
2006年09月23日 21:10
Y社のオートバイ生産立ち上げに就いて生産用のジグ設計を担当し、特にYA1のシフターカムの倣い切削加工ジグや、YA2の設計の一部を担当したり、その関係からホンダのスーパーカブ、スズキのダイヤモンドフリー、さらにはベンリー、ベビーライラック等を乗り回し、YA1を通勤用に使ったりしていたので、殊更にオートバイに就いての愛着は強い。道端でツーリング途中で休んでいる一団に出会うと、今でもその車に就いて意見を聞くのが慣わしになっている。それだけに浜松からオートバイの生産拠点がなくなるのは切なくも複雑な気持である。

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