「縁」に就いて(4) 中山正男

★「きらり」が、NHK朝ドラマとしては近来稀な好評で、日本中で高い視聴率を得た。  ドラマの中の人々の人間関係、生活感覚が、現在の日本で失われた、私の幼少の頃と相通じ、当時の社会情勢とを、このドラマが、理屈抜きで伝えてくれるのが、嬉しかった。
ピアニスト君の{朝ドラ「きらり」を見て [A-25]} 、の内容も同感だが、そのコメント欄の応酬、が忘れられない。
私は、「きらり」の完結を見て、敗戦前後の世相の話を紹介したくなり、
この記事、『「縁」に就いて(4) 中山正男』、を書いた

が、当初の記事では、イントロに当る、「きらり」の話ばかりで、半分以上のスペースを占めていて、「看板に偽りあり」、の状態になってしまった。   その上、私としては「きらり」の感想を纏めた、それなりの標題のエントリー、が無いことになる。
そこで、2006/10/5に、元々の記事の前半を切り離して、『「きらり」を見終えて』、を作り、当初の題名のこの記事には、後半を残すことにした

元々の記事に対して、トラックバックを送ってくださった飯大蔵氏にも、コメントを入れて下さったAlps氏にも、大変失礼をしたが、この様な判断で、元記事の前半を切り離す処置、をしたことをご了承頂きたい。


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◎ 「きらり」に刺激を受けて、敗戦前後の世相の話を紹介したい

★此処に引き合いに出す人達の名前とか、社会的な出来事は、ある年代の人達には非常に良く知られ、又は自身の体験と結び付いていて、反射的に思い出す。
が、現代日本の大多数を占める年代の人達には、案外知らない人が多い、のではないかと思う。
 それで、何処から話を始めてよいか、迷うのである。

ある年代の世代の常識、教養、といったものは、時代が移ると全く通用しなくなる。
例えば、倉田百三の「出家とその弟子」、などは旧制中学生の必読書のような本で、高校生になってこれを読んでいないと、その知的レベルの低さを、仲間のうちで嘲われたものであった。
が、現在の人は、その書名どころか、倉田の名も、知らないであろう。


団塊の世代の人達は、自分等の生まれた頃の、わが国の代表的文化人、大宅荘一、尾崎士郎、横山隆一、倉田百三、林芙美子。吉川英治、の名前も、これから述べる中山正男の名前も、そして、これ等の人達の間の繋がりも、知らないであろう。
 それで、この様な前置きが必要になる。


★1945の太平洋戦争敗戦に依って、日本で大財閥の解体が行われ、多数の会社に分割された事だって、現在は知らない人が居るであろう。
敗戦後、1950年の朝鮮戦争の勃発までの時期の、日本の経済的衰弱、困難は、当時を知らない人には、考えられないだろう。

超大財閥の解体で生まれた、当時の新会社の幾つかは、現在も超大会社として活躍しているが、幾つかの当時の大会社はその後沈没、消滅した。
あの厳しい時代の生活、例えば極端な就職難などは、当時を知らない人には、想像出来ないと思う。
戦争中、最優秀な学生の集まった、帝国大学工学部・航空機工学科・造船学科の卒業生は全員失業し、新卒の求人はゼロであった。
当時の就職難に較べれば、最近の就職事情等、お笑い程度である。

その当時に、川西財閥の解体で生まれた、新会社の一つに、明和工業があった。
その明和工業の社長をしていた太田準七さんが、私等の仲間の母校である長野中学の先輩である関係で、我々は随分とお世話になった。

その太田さんが、ある日、訪ねて行った我々に向かって、

「馬喰一代」という映画は、「素晴らしい映画だから」、と見る事を勧め、

我々はそれを見て感動した。   貧村で育った我々に、あの映画に描かれた家族の生き様の、身につまされる感動は、生涯に亘る影響を残した。


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★その「馬喰一代」、の原作者が中山正男氏、であることを、
 比較的最近になって知り、驚いた。
  一緒に見たY君も、R君も、知らなかった。

中山氏の義弟が、金子智一氏である。  中山も金子も、一応は著名人ではあるが、日本人一億人の常識としては、非常に有名ではない。
歴代内閣のつまらない総理大臣や、芸能人のような、知名度はないと思う。
だが、この義兄弟の実績と、生き様は素晴らしかった。

団塊の世代の人達も、ユースホステル協会理事長や、日本ウォーキング協会会長、としての金子氏、の名前を知っているだろう。
意欲的な人は、中山を、「青年の船」、の産みの親として、知っているであろう。


中山は当初、日本ユースホステル協会で新船を建造する心算であったが、無理だと分って、佐藤栄作総理に仕掛けた。
1966/3/25夜。 築地の料亭で、佐藤栄作、山岡荘八、大宅荘一、笹川良一、など20名の集まりを肝いりし、明治百年の目玉事業として持ち掛け、佐藤総理は同席していた安井謙総務長官に指示して、これが生まれ、1968に、第一回「青年の船」、が出港した、という。

中山正男の最も好きだった言葉は、ジンギスカンがゴビの砂漠を旅する人々に対して課した
「次に来る旅人のために、泉を清く保て」、という掟だったという。

職場の上下、義兄弟という関係の中で、相互に影響し合いながら向上した二人。
人間の縁を大切にする中山から、ユースホステルの話を聞いた時、「青少年」、と「国際性」、というテーマに、金子が感動し、「これだ。オレが求めていたのは、これだったのだ!」、と叫んだ声が、聞こえてくるようだ。


我々の仲間のR君の娘さんは、世界青年の船で、一度は団員として、もう一度は講師として、二度も乗船している。
R君の娘さんがお世話になった、「青年の船」、が、半世紀も前のあの日、太田準七社長に勧められて見て、R君も感動した映画、「馬喰一代」、の原作者、中山正男の作った事業であったことを、

 今回始めて知った。  こういうのをご縁、と感じるのは、可笑しいのだろうか。

NHKTVで大好評で、先日再放送に引続いて、再々放送された、「プロフェッショナル」、第一回の主人公、進藤菜穂子さんは、このR君の娘さんと中学の同級生の仲良しだという。 相似た感性を持つのだろう。
中山、金子の「青少年」と「国際性」というテーマが、R君の娘さんに間接的に影響を及ぼしているのならば、人間の活動の成果とは、そうしたものか、とも思う。
 こういうのをご縁、と表現するのは、間違っているのだろうか。

「きらり」の時代を生きた人達の生涯があって、現代の人達の生活がある。
それを知っていて欲しい、との思いが、この様な記事を書かせたと思って、見て頂きたい。

この記事へのコメント

Aips
2006年10月03日 09:26
同じ時代に同じ学校生活を送った筈の私の生き方と、象川氏の生き方を比べてみて、学校から帰ると田圃や畑が待っていた私の生活との差を思う。過去に自分の刺激に繋がる人との出会いの差も、其の後の職業や経歴によっても違うが、一面こんな所にも原因があったのかも知れないななどと思っても見る。
中山正男&金子智一氏の生き方を「夢人間」と書いた佐藤氏の表現の適切さも痛感する。夢があってこそ暗い時代も乗り越えられるのではないか。
「きらり」の登場人物も互いに精神的物質的に助け合い、夢を持っていたからこそあの暗い時代を乗り越えてきたと思うし、この作品の素晴らしさはそれを克明に表現した所にあったのではないかと思う。
改めて、私たちも含めて、あの時代に生きてきた人たちの事を考えさせてくれた。

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  • 「きらり」の時代を生きた人達の生涯があって、現代の人達の生活がある。

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