伝統文化と常識の変遷(1)

文科省が教科書検定で、「戦争末期の沖縄で、住民の集団自決が、日本軍の強制で行なわれた、という記述は修正せよ」、と要求したのに対し、沖縄県、特に高齢者が猛反発している事が、大きな話題である。
戦争末期に軍部に迫られて、沖縄で集団自決をした民間人達の生存者や目撃者へのインタービューが、連日マスコミに報道され、こうした話題には腰が引けるNHKでも、6/21日に放映していた。

矢張り、目の前で、親族・友人が死んで行く激しい場面に直面した(乃至は、肉親から直接に語り聞かされた、間接的な)、体験者と、
印刷物で知識として知っているだけの人とでは、
決定的な断絶
、があることを、痛感させられる。



 ①沖縄戦が長い間、従来の記述で定着していたのが、此処に来て急にこの様な修正要求が出てきたこと、そして、
②現地沖縄では議会で満場一致で、この文科省の修正指導を撤回する要求が議決された事、を見ると、

「体験者(沖縄現地人)と、知識だけの人(文科省官僚)の差」、を改めて考えさせられた。

時間が経ち、世間の常識が変化した後では『当然』のことが、
  或る時点では『非常識』に見える、ということは普通にあることである。
 その逆が、「神学論争」
であろう。

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先日、変人キャズ君のブログ記事で、面白い応酬を見た。
   ▲「私等のブログ」に付いて [2007/6/18]
という記事だが、この記事は、その前回の記事へ、「飼い犬に手をつかまれた男」氏が入れたコメント、に対する返答である。

「飼い犬・」氏は、「美しい国」という言葉が安倍総理の主張する「美しい国」と同じ単語だから嫌だ、と言う。
キャズ君は安倍氏がどの様な言葉の使い方をしたとしても、日本語本来の意味に於いて「美しい」という言葉は好きだ、と言っている。

逆に、「飼い犬・」氏が、「優しい・」ということを理想としているのに対し、キャズ君は「優しい・」という言葉に、いかがわしさを感じて居る。


こういう議論は一見、犬が好きか、猫が好きか、と同じで、生産的でないように、見える。   しかし、犬か猫かの話とは本質的な差がある。
そして、私自身はキャズ君と同感である。
それは、同年代である事に由来する。

 弾丸が飛び交う戦場で、一瞬で生死が別れる極限状態の場面で、本当に自己を犠牲にしてでも他人に尽くしたのは「優しい・」人でなかった体験から、
キャズ君は「優しい・」という看板に、不信を持つようになった。

同様の感想は、満州引揚げ者や、被爆体験者、戦後の食糧難に直面した人、などの共通した認識であり、或る年代の人の通念だろう。
同郷であるとか、友人であるとか、とは、違った因子が支配しているのである。

上記の変人キャズ君の記事に晩秋氏が入れているコメントが、今回のこのエントリーの冒頭で私が書いているのと全く同じことを言っているのを見て、可笑しくなった。
相談した訳でもないのに同じテレビ番組を見、同じことを考えている。
然し、これは、あの時代を生きてきた人間として当然のことだろう。
つまり、同年代ということが、決定的であることを見事に実証しているのだ。

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上述の「飼い犬・」氏とキャズ君の応酬を見ると、キャズ君のかなり丁寧な対応に対して、「飼い犬・」氏は決して満足も納得もしていないのが分る。
其処に、この記事に出てくる「飼い犬・」氏にしても、m氏にしても、戦争の極限状態を体験してきた人の感性を本当に理解する事は出来ないのが分る。


 タイタニック号の生存者のテニスの名選手が、結婚後も妻にその話を数十年間内証にしていた話{★「ホージンノススメ」へのコメント [B-31] [2006/03/18]}、とか、
友人がアウシュビッツ生存者夫妻の自宅に招待された時に、その経験の話がたった一言しか無かった話、{★一戦中派の感慨[A-4]:[2005/3/25]}
 、などを、想起する。

これ等の話が我々の仲間達の集まっている席で披露された時に、仲間達は皆、強い感動を覚え、共感を以って話し合った。
 しかし、少し若い世代の人達が居たら、反応は違っていたろうと思われる。

私の様な国粋的と一般には批判されるような人間が、中国の反日感情をある程度理解・同情したり、逆に麻生千秋氏の様な頭脳明晰な物分りの良い人でも、戦争が有ったことを理解できなかったりする。

体験しない事は、本当には分らない、というのが、人類の限界なのだろう。

そして、「共感」とは、思想信条とか、意見の一致とかよりも深い、人間の根底で発生する。
{後註:本記事公表後に戴いたコメントで、此処の表現に不正確があることが分かった。 例えば沖縄戦で実際の弾丸に曝された人だけでなく、戦後生まれでも、愛する親・兄弟からその体験を聞かされた人も含めた心算で、『体験者』、という言い方をしてしまったが、その意味でお読み頂きたい。}

これに関連して思い起すのが、我々の良く知る某大物政治家(故人)K氏である。 
K氏は自民党の中でも、折り紙つきの右派政治家かとして有名であったが、個人的には、当時これも著名な左翼労働運動の指導者であった某氏と親しく、肝胆相通じていた事実が在る。
我々の仲間の一人がK氏の没後に、ブログでばらしていたが、勿論公的な立場があれだけ敵対的な、そして共に目立つ存在であったから、両者共に表面的には決して接触のあるところは外部に見せず、マスコミは勿論、互いの陣営内部でも、殆ど気付いていなかった。
事情あって我々の仲間の一人がK氏に世話になった時に、その事を知って驚愕した。

 また、先日WブログにP君が入れたコメントで、「ベルリンの壁の健在な時にP君が会った東ベルリンの指導的立場にあった人物が、東西ドイツが合体して後で分って見ると、実は西側の人物と極めて親密な関係を維持していたのを知り、驚いた」、ことが書かれていたのも、似た話である。

極限状態を体験共有してきた人の心の深層を本当に理解する事が本当に難しいのが分る。
と、共に、それのない人には、言葉だけで納得させるのが不可能だ、ということも分る


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ブログ記事に、コメントを入れたりして反応して来る読者が100人居れば、彼等は100通りの理解をしている。
書き手は、全ての人に完全に理解を求めるのでなく,分る人には分ってもらう、で良いのだろう。 
私がよく読む幾つかのブログ、論旨がはっきりしている人のブログに、狂気のようなコメントが入って、それに管理者がいちいち丁寧に対応しているのを見ると、私は他人事なのに、時間が勿体無い、と思うのである。

キャズ君の記事に紹介されていた一件:
  P君の記事を読みもしないで非難したコメントに対し、私が反論の文章を書いたのは、
相手が京大教授というご立派な肩書きで、社会に対しても責任が有る筈なのに、あの行為が許し難く思ったためである。
一般の市井の人のすることならば、私だってあそこまでお節介をする気はなかった。

一般論としては、私も記事の内容を理解もしないコメントは相手にしない方を選ぶべきだと思っている。

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Y君は或る時に、非常に魅力的なアイデアを思い付いた。
彼はそれを特許として押さえることを考えたが、当時の彼の身分は国家公務員であった。
個人的に勝手に出願する事は許されないので、手続きを執ると、上司の課長が反対して、没になった。

それが若しも出願されていたら、国有特許になるのであって、Y君のものにはならない。
しかし、日本の国が、それを権利保有する事に依って、何千億円かの特許使用料が国庫に入り、国が潤うし、Y君は名誉を手に入れることになった筈であった。
Y君にとって、日本国にとっての不幸は、その上司の課長が、黙って盲判を押す無能官僚でなかったことであった。

その上司が有能で勉強家なるが故に、当時の常識では、Y君のアイデアが荒唐無稽に見えたのであった
数十年経って、技術の進歩に依って常識が変化し、Y君のアイデアが常識化して膨大なマーケットになった時に、課長氏はY君に謝ったが、時既に遅かった。


時間が経ち、世間の常識が変化した後では『当然』のことが、或る時点では『非常識』に見える、ということは普通にあることである。

あの時点では、Y君が一万時間掛けて説明しても、課長氏を納得させる事は出来なかったの違いない。

沖縄で米軍に逆らっても絶対に勝ち味がないから、降伏して、命を永らえよう、
と現在では当たり前の考えを口にしたがため、日本兵に首を斬られた民間人の話が、先日の新聞に載っていたのも、その一例である。

そして、この様なことも在り得る、という当時の常識が、次の世代の人達には理解できないことだろう。


こうして、現在の文科省官僚による、教科書記述内容修正要求が出てくる。

************** 7/17 追 記 *********************************
本記事に対し、飯大蔵氏から「世代の差、体験の差」という6/27の記事のTBを頂き、私の言葉遣いの甘さのため、「体験」という言葉で私が表現していた内容が誤解を受けていることが分り、記事本文に手入れをしました。
ところが、7/17に今度は、「体験しないと」さんからのコメントを頂き
:{体験しない事は、本当には分らない。 いや、分る。・・の議論は虚しい。 毎日新聞2007/06/16に載っていた話を紹介する。
  :『空き巣事件の被告にいつも甘い判決を出す裁判官が、ある時期を境に厳しくなった。 自宅が、空き巣に入られる被害に逢ってからだ』。と}、
と、ありました。
この話を私が知っていたら、Y君と上司の話よりも、この話の方が適切であったのだが、此処でまた記事本文の手直しをするのは止めます。

この記事へのコメント

体験しないと
2007年07月17日 16:10
体験しない事は、本当には分らない。いや、分る。・・の議論は虚しい。 毎日新聞2007/06/16に載っていた話を一つだけ紹介する。:
空き巣事件の被告にいつも甘い判決を出す裁判官が、ある時期を境に厳しくなった。 自宅が、空き巣に入られる被害に逢ってからだという。
以上です。
2012年01月21日 12:14
とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。

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