伝統文化と常識の変遷(3)

今春、地元老人会の旅行で三保の松原に行ったY君は、(★ Y君の遠州旅行[)、三保の地に、松前氏の名前を冠した東海大学のグラウンドが在るのを知り、感動したそうである。
東海大学の創立者の松前氏の名前が其処に有っても、別に不思議はないのだが、現在の多くの人は、松前氏の名前も殆ど知らないのではないか。
どうせ、人間の名前は、忘れ去られるものだろうが。

戦争中に信念を貫いた為に、東条に睨まれて、中央官庁の局長だったのに、一兵卒として戦地に送られた松前氏の事を知るY君は、その様な形で、名前が残っていることを知り、嬉しくなった、と話した。
その名前が切っ掛けで、現代っ子の若者が松前氏の事跡から、更には戦争中のことなどを知ることになるかもしれない。

戦争中に米軍のB-29等の爆撃機が日本軍の高射砲弾の届かない高度を飛んでくるのに対し、竹槍で闘えと言っても駄目で、それなりの対抗手段を用意すべきである、と書いた信濃毎日新聞の新名記者が、軍部の怒りに触れ、徴兵されて南方の全線に送られるところであったのと、同様である。
これ等を逆に言うと、この例外的な松前氏や新名記者を除いた、全ての同僚、(官僚・マスコミ人)、は、戦争を支持していたのであった。

処で、此処でY君の感想に対し、老人会の仲間の一人から異論が出た。
その人の言うのは、確かに松前氏も新名記者も偉かったが、
他の同僚も「腹では分っているが、形だけ、戦争を支持していたのでなく、、本当に日本軍の行動を信じていた。
間違っていたのである。 嘘を言ってた、のとは違う」と。

この話題から発展して、それでは何故、同一の情報環境の中で、松前氏や新名記者は正確に判断し、他の連中はそれが出来なかったのか、という議論になった。

到達した結論は、「目の前にある情報で、何が本質的であり、何が本質的でないかの、価値判断の能力の差、に在る」、
という事であった。


************************************************************

ここで、Y君は昔、若い時に先輩に聞いた話を思い出した。

戦前の東芝に、マツダ研究所という有名な中央研究所があり、社内のエリート技術者が集められて開発基礎研究を行なっていた。
そこに、国内外で有名な指導的な研究者A氏がいた。

ある時、A氏の部下の研究者Bが仕事の成果を取り纏めて、学界雑誌に発表する許可を得る為に、A氏に原稿を見せた。
A氏はそれを預り、3行ほどの文章を手直しして書換え、自分の名前で学界雑誌に発表してしまった。

自分の業績を横取りされたと考えて、怒ったBが、
「あの論文の文章の99%は、私の書いた文章だ」
と、文句を付けると、A氏は答えた。

「君の仕事を下敷きに使って、僕のあの論文を書いたが、
論文の本質的な部分は、僕が書いた3行であって、他の全ての部分は、その基礎部分である。
本質的な部分に寄与した人間の名前で、論文を発表するのが、学問の世界の常識である
」と。


この話は、意欲有る研究者達の間では、当時有名な教訓であった。
学界に研究成果を発表する時に、誰と誰を発表者として、連名にするか、しないか、
の尺度を、後進に仕込むのに、この先輩は、良く話してくれた。

今となっては、記憶が不確かであるが、エレクトロニクスの父、ラングミュアーにも同様な話があった、と、聞いたような気がする。

また、分野は違うが、日本最初の世界的数学者として高名であり、名文家としても知られていた高木貞二先生も、良くいろいろな場所で、同様な話題を書いていらっしゃった。 
高木先生の良く使用していられた表現、

「何がessentialで、何がtrivialであるか」

は、ある意味で、旧制高校の学んだ人間の、最も大切な判断尺度
であった。

************************************************************

文学、絵画、など芸術関係の世界では以前から、模倣、剽窃、盗作の議論が多くあり、その時に、両当事者の主張は大抵は平行線で、収束しない。
使用する全文字数の少ない、和歌、俳句、ともなると、事態は一層深刻であろう。 
たった、一文字を替えることが、本質的に重要で、新作品と評価される事もあるだろうし、それを認めない意見もあるであろうし、こうなると、各人の価値観の問題である。

芸術関係での模倣、剽窃、盗作の議論は、まだ作品の課題自身ではない。
 これが発明・特許権となると、そのこと自身が全てである。
歴史的に有名な、「消しゴム付き鉛筆」は、膨大な収入を産んだ事で世間的には知られたが、寧ろこれを発明と認定するかどうかの議論の方が、文明史的には意義がある。
これを評価できない人にとっては、既に存在するものをくっつけただけ、であり、評価する人には、
  その『組み合わせ』が新たな価値を生んだ、と見える。
鉛筆だけ、消しゴムだけ、しか見えない人と、組合せに本質的なものを感じることが出来るのとの、『差』、であり、此処から20世紀の技術社会が生まれた。
しかし、21世紀に入った今でも、価値観に鈍感な人には、それが理解できなくて、特許権成立が不合理に見えるだろう


私は始めて未だ2年にしかならないが、ブログの世界も見ていると、同様な問題を時折見る。
「お前は俺の文章を剽窃した」。
「こちらのエントリーの、中心課題は別である」

これ等の衝突は、バーチュアルな世界であるブログだから良いが、リアルな出版物の世界ならば訴訟沙汰に成るであろう。

しかし、盗まれた、真似られた、と主張する側だって、傍らから見手居ると、いい気なもの、と思う場面が有る。

自分ではオリジナルな発表をしている心算で居るが、「そうですか」、とご挨拶する他に、どうしようもないものである。
その有名な例が、「銅鉄主義」で産み出された「そうですか」文献で、
これがどれだけ、日本の国際的評価を落としたかは、
当時は随分と語られたが、現在の人達には忘れられている。

人間何から何まで独りで、やることは出来ない。
例えば国会での政治演説を批判する文章を見たりする。
その批判文を書いた人は、新聞かテレビで見て書いている(「銅鉄主義」)
その情報源をいちいち書かなくても、本人は気にしてないのだろうがそれと似たようなことをされると、文句をつける。
自分は大層真面目に言っているから、傍から見ると実に面白い。

************************************************************

この現象は、昔に較べて、ワープロ、パソコン、と、文章が作り易くなった環境もあるが、また一方で日本人の教養のレベルの劣化も原因にあると思う。
先のように技術者として出発の当初から、「何がessentialで、何がtrivialであるか」が、最も大切な事柄であると仕込まれて、身に染み付いている私などから見ると、
それが分らなくて、(というか、今迄に、私等の若い頃の様な教養を仕込まれなくて)只、字数の多少、とか、絵画の構図の相似、とかしか見えてない人が大声を上げているのを見ると、
日本の文化レベルの低下を感じる。


或いは、技術者としての我々のような仕込まれ方でなく、小学校だけで入った職人の世界でも、伝統芸の伝承で、この様な、「何がessentialで、何がtrivialであるか」が、最も大切な事柄であると仕込まれて、身についていく仕組みがあったに違いない。

義務教育の小学校、旧制高校の健在であった戦前でさえ、情報から、日本の危機を感じ取れたのは、松前氏とか、新名記者とか、少数の人しか居なかった。
戦後処理を誤って、旧制高校を廃止した日本。
昔の小学校唱歌(そのまま情操教育に役立つた)を廃止した日本。

 これから先に、ただただ情報量ばかりが肥大して行く世界で、日本の針路を過たずに選んで行くことが一体出来るのだろうか、不安である。

この記事へのコメント

佐久間象川
2007年07月22日 03:55
東郷様、TBを有難う御座いました。
伝統文化と常識の変遷(4)に書いた、文芸春秋の海軍の記事を、もし東郷様がお読みだったら、pp.159ー161の辺りを、思い返してください。
「最後の海軍大将」井上成美の影響を受けている我々はP君の気持が非常に良く分ります。 彼も既に何度も記事の中に書いて居る事を、東郷様からコメントを頂いてもご返答差上げないとは思いますが、我々は皆、東郷様を仲間に近い存在と認識しているので、彼もお気持は良く理解している筈です。
P君だって、迷っているだけで、未だ何も決めていないが、私やキャズ君は、今後も全く今迄どおりで何も変わらないので、宜しくお願いします。
尚、ついでで恐縮ですが、あの海軍の記事を見て、「賀屋興宣」という人物を見直し、死後の評価も気の毒に、と思いました。

この記事へのトラックバック

  • 伝統文化と常識の変遷(4)

    Excerpt: 文芸春秋(2007/8)に、「昭和の海軍・エリート集団の栄光と失墜」、という歴史記事が載っている。 Weblog: 佐久間象川 racked: 2007-07-20 21:28
  • クローズ方式ブログの功罪について

    Excerpt: このWebry Blog に最初にお世話になったのが、2005年11月10日である。1年8ヶ月続いたことになる。その間、多くのブロガーの方にお読み頂き、数々のコメントやTBを頂戴したことを、深く感.. Weblog: 東郷 幹夫の思いつくまま日記 racked: 2007-07-22 00:01
  • 旧制高校・晩秋ブログ挽歌

    Excerpt: 先日来、我々の仲間の内で、ブログの在り様についての話し合いがあり、ピアニスト君がよろめいたという事実はあるが、彼も結局は現状維持で落ち着く気になったらしい。 驚いたのは、それが飛び火して、晩秋氏のブ.. Weblog: 変人キャズ racked: 2007-07-28 10:08
  • 東海大学についての話題

    Excerpt: 東海大学についていろいろ調べたい、東海大学を受験しようと考えている方、入試 入学 偏差値 倍率 大学院 サークル 就職の情報が知りたい、はたまた東海大学の図書館とか、最新情報に興味があるという方へ。こ.. Weblog: 東海大学受験ガイド★入試 入学 偏差値 倍率 大学院 サークル 就職 racked: 2007-08-28 22:26
  • 「盗った」、「真似た」の問題

    Excerpt: 『「同じ」、「違う」とは何か』、という毎日新聞文科欄の記事があった。 「一つの価値観が暴走する社会に懸念」、との副題も付いていた。 2007/09/12(水)の渡辺裕(美学芸術学、東大)氏の上記標題.. Weblog: 佐久間象川 racked: 2007-09-17 05:35
  • 旧制高校と軍事教練授業

    Excerpt: Y君に旧制松本高等学校の同窓会雑誌を見せて貰って驚いた。 掲載文に紹介されている同校教師の原少佐のこと、あの戦争中に、このような人物がいたとは奇跡である。(松高同窓会:松本市県3-1-1) Weblog: 変人キャズ racked: 2008-11-20 22:48
  • 原少佐に思う事

    Excerpt: Y君の在学していた旧制松本高等学校の教員に、原さんという退役陸軍少佐がいた。 昔の陸軍士官学校の卒業者だから優れた人物であった事は間違いない。 昭和初頭の軍縮の流れの中で少佐で退職する事になった人.. Weblog: 変人キャズ racked: 2008-11-21 07:11
  • センター試験と老人の感慨

    Excerpt: 昨日から大学入試センター試験が始まり、新聞、テレビでは受験生の数とか、当日の各地の天候の模様とか、マスクを掛けた受験者の表情とかが報道されている。 しかし、この制度が我が国の社会にとって、どのような.. Weblog: 佐久間象川 racked: 2010-01-17 10:20