人間の評価: (7)秋の叙勲・栗林忠道②

我々が歴史から学ぶべき事の一つは、
誰が何をしたか」、だけでなく、
その「何をするような人間」が「どのようにして生まれてきたか」、を知ることであろう。


昨年末(2006/12/25)の新聞報道で、栗林の生家の土蔵から少年期の資料が発見された事が報じられ、その記事に、ノンフィクション作家の保阪正康氏が、
「栗林がどの様に精神形成をしたかが、良く分かっていない・・」、
とコメントしているのを見て、流石に保阪氏だけあって、良い点を指摘している、と思った。

戦争に突き進む時代に、米国の実力を知るが故に、戦争に反対し、結局は軍の主流に疎まれ、東条に嫌われて、皆が逃げた硫黄島の総指揮官を引き受けた栗林。
その事跡を知るだけでなく、何が、あのような人格を育て上げたのか、を我々は学び取らねばならない。
 {▲ 日本民族の合理性と東条首相参照}

栗林の生まれ育った地域の歴史を見ると、ヒントがある。

松代藩主の真田幸貫と、須坂の藩主であった堀直虎の業績は、見事に栗林に継承されていたことを、
もう少し日本人は、鮮明に記憶に留め、教訓にすべきだと思う。


この点について、更に私見を述べる。

★ ★  ★ ★  ★ ★ ★ ★

秦の始皇帝・ヒットラー・毛沢東だけでなく、何時の時代のものも、歴史は時の権力者が作り、焚書坑儒が行なわれるから、歴史の記述は注意深く読まないと間違いを起こす。
明治政府を支配した薩長閥の影響下で作られた、日本の近代史はかなり歪んだ記述になっているが、実際に日本で幕末に内戦に向かわず、先進列強の植民地にならずに済んだのは、真田幸貫と堀直虎の功績が大きい事を、前回も注意した。

それにも拘らず、西郷、岩倉、井上の名前は知られても、真田幸貫とか堀直虎の名前は、歴史書には沈没してしまうのである。
真田幸貫が重用した佐久間象山、その弟子、勝海舟・吉田松陰が、あの転換期に如何に重要な役割を果たしたかを、再評価しなければならない。

栗林の合理精神は、この地で育った所に根源がある。
栗林の生家は、その松代の町、真田幸貫・佐久間象山の生活した町である。


少年時代から、その様な場所の空気を吸って育ったのが、人間形成に直結した事は明らかである。
また、私の時代でも中学の同級生に須坂の人間は多く居たくらいだから、栗林が堀直虎の間接的な影響を受けても、全く不思議はない。

★ ★  ★ ★  ★ ★ ★ ★

太平洋戦争中、各地の戦闘で、米国軍側の死傷者数が日本軍よりも多かったのは、硫黄島戦だけであった。

その総指揮を執った栗林は、内地の戦禍を大変に気遣っていた事が良く知られているが、
自身は出掛けるときに既に、勝ち味のない地域戦であることはよく理解して居て、生還しない事は承知していた。


  ★ ★  ★ ★  ★

硫黄島、サイパンを通過したクルーズ船で、20世紀最後の日に、「二人のピアニスト」君が食堂で夕食をご一緒したのが、ゼネコン汚職摘発の指揮を執った藤永元東京高検検事長のご夫妻であったのも、不思議なご縁に感じた、と彼は語っている。

21世紀最初の初日の出を迎えながら、クルーズ船デッキ上で多くの乗船客が立ち、ベートーベン第九の歓喜の歌をと合唱した時に、ピアニスト君夫妻は藤永夫人と一緒に居たが、藤永氏の姿は無かった。
実は、その時、藤永氏は病気が進んでいて余命が幾ばくもないことを承知しており、今生の最後の思い出に夫妻でこのクルーズに来ていたのであった。
早朝の合唱に参加するだけの体力が無かったのであった。
事実帰国後、幾ばくもなく藤永氏は逝去された。

絶対に生還しない事を承知で、栗林が赴いた硫黄島。
死を迎えるのが近いのを承知で夫妻最後の旅行に来ていた藤永氏。
20世紀から21世紀に移る狭間の時間。
 いろいろな思いが、ピアニスト夫妻の心を打って当然である。

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保阪正康氏の「栗林がどの様に精神形成をしたかが良く分かっていない・・」とのコメントに関連して、

栗林の生まれ育った長野県の県民性に付いては、
▲「性悪説論者の弁(1)」、
に書いた。


その生まれ育った地域の歴史の話を少し見てきたが、更に
少年期を過ごした長野中学の話を紹介する。

前身校の歴史は省いて、長野県立長野中学の名称になったのは、明治32年4月である。
その翌年、生徒は学校にピアノがないのを悔しく思って、それを獲得する事を願い、全員協議のうえ、教職員の協力を得て、一年間の暖房費を節約して、ピアノを購入した。
このピアノは「神聖なるピアノ」として、以後の校風の伝統の基となっている。

一冬の暖房費を節約すると言っても、その厳しさを、温暖地の人には理解出来ないと思う。
東京あたりの冬とは訳が違って、長野の冬は厳冬である。
近頃は全国的に温暖化しているが、私の少年時代には毎年氷点下10度くらいに冷える事もあった地域、私の経験した最低気温は氷点下13度であった地域、である。
暖房無しでの生活の厳しさは、そして、それに耐え抜いて目的を全うする逞しさは、現代では理解されまい。
このピアノの購入の数年の後に中学に入学してきた栗林は、その様な気風を浴びて勉学に励んだ筈である。

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このような環境で育った事が、栗林の精神形成に影響を与えたのは間違いない。

栗林の合理的な意見が通って、日本が米国と開戦しなかったならば,現在の日本社会の世相は全く変わっていた筈であった。


なお、今年のPASMOの騒動、(民衆に大歓迎されて、発行がかなりの期間停止された)、を見るにつけても、長野中学の友人のO君のことが思い出される(▲「出逢いの問題 (7)終章:O君」。

こういうものが広く使用されることになると、O君は本当は先覚者として高く評価されて然るべき所を、時代に先行しすぎたがために獄死するハメになった。
栗林の意見が通らなかったのと同様に、30年後輩のO君も合理的過ぎ、先見性が過ぎたのであった。

今年の秋の叙勲もまた、
村山の様な人間(▲「人間の評価」に就いて(4)春の叙勲)、
また恥知らずの旧社会党代議士(▲「人間の評価」に就いて(2)極端な事例)、のようなのが対象になるのだろうな、と思うと、
その日が近付くのが憂鬱である。

この記事へのコメント

Alps
2007年10月28日 11:57
私も同じ旧制長野中学校の出身で、当時の校風の一端として書かれている「フルマラソン」や「神聖なるピアノ」の話を聞かされると懐かしさが込み上げてくる。
栗林大将、H中佐等の話は感動的でした。そのような犠牲の上に現在の日本のある事をしみじみと思う。
佐久間象川
2007年10月28日 18:02
栗林中将が、私やAlpsさんと同じ中学の大先輩であることは、私等は大いに誇ってよいと思います。 そして、私等と同様に、あの「神聖なるピアノ」に感銘を受けたろうと思うと・・・。 でも、そうは言っても、余りに懸け離れた存在ですね。
しかし、H中佐は晩秋氏と碁を打ったり、という程度に、同じ空気を吸った人物。 年齢は離れていても同時代の人、と思うと、私等との近しさを感じます。
その方が栗林中将と同質の人格を持っていたと知ると、ほんの少し前までは日本に立派な人が多く居た。 逆に言うと、何か最近急速に民族の劣化が進行しているような気がしてなりません。

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