無意味な法律家

5月14日大阪市玉造の市道で乗用車が児童の列に突っ込み
  先月入学したばかりの一年生の女子が死亡した。
  車を運転していた男は「前をよく見ておらず、
  安全を確認しなかった」と供述しており、
  自動車運転過失致死容疑、で調べられている。
  が、これは過失ではなく、殺人だろう。

★ ★ ★ ★ ★
 
この日、京都家裁は、京都府亀岡市路上の事故
  起こした少年の観護措置を決定し、身柄を
  少年鑑別所に移した。 

   この亀岡市の事故は、4月23日に小学校の児童が
     集団登校する列に軽乗用車が突っ込み、
     25メートルも撥ね飛ばされて重傷を負った児童ら
     10人が死傷したものである。
     事故の運転をしていた少年(18歳)は無免許運転
     を続けており、当日も居眠り運転をしていた。

   この日のテレビは多くのチャンネルで、子供を亡くした
     家族たちが、その切なさと共に、司法当局の対応
     への不満を口々に訴えていた。


  その被害者家族達の多くが、当局がこんな加害者
  少年に「危険運転致死傷罪」を適用しないで、
  「業務上過失致死傷罪」で事件を処理した不条理
  への怒りを、口にしていた。 

    ★ ★ ★ 

共感できるどころでない。
   ▲「司法」と「報道」(2):[B-134]:[2010/9/17]
に、二年前に私が書いたこと、正にそのものである。 
. 
この私のブログ記事に引用しておいた、キャズ君の
   ▲ 日本の司法制度:[C-180] [2009/5/15]
                    の文章では、
     『飲酒無謀運転、轢き逃げ、などの事故の多発と、
      呆れるばかりの量刑の軽さ、に世論が激高して、
      流石に日本の司法当局も放置できずに、
      「危険運転致死傷罪」を作った。  然し{中略}
      なので、その法律を適用する事は極めて稀、
      作った意義が無い』、

  とあるが、   正に、今回の亀岡市の事件への
  当局の対応に対し、被害者家族達が異口同音に
  訴えている言葉そのままである。

そしてその発言を、多くのテレビチャンネルが
  時間を使って放映を繰返している その時間に
  大阪市玉造の事件が発生したのである。

★ ★ ★ ★ ★ 

この日に起きた事故だけが特別なのではない。
  ここ暫くの間に高速道で、一般道で、繁華街で、
  グータラ運転手の無責任生活の結果発生した
  路上事故でどれだけ多数の人命が奪われた
  ことだろうか。 
そのような不合理、無法を防止するのが
  「法律の役割」、だと理解している、私ら
       の方が、間違っているのだろうか。 

現実には適用されることのない「危険運転致死傷罪」
  でさえ量刑は20年以下であり、
  「業務上過失致死傷罪」では数年の処罰である。 
若しも、悪質な事故を起こしたら火あぶりの死刑
  になる、という法律があったならば、車を運転
  する時には慎重になって、最近連発しているような
  無謀事故は防止出来て、多数の人命が救えた
  のだろう
、と私は考える。

★ ★ ★ ★ ★ 

亀岡市の事故の法的決着がついた日に、玉造の事故が起きた。

日本の法律屋は、条文の字句に拘ることで専門家面
  をするが、法の精神に鈍感、 であることが、
  又しても証明された
、のである。 
私等の主張は
   ▲ 轢き逃げ有利の法治国 :[B-100][2009/10/10]
   ▲ ダンスパーテイで死者が出て(続):[A-111][2010/3/15] 
にも書いてある。

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以上は交通事故だけでなく、モノの考え方の基本
  の議論をしている心算である。
 
例えば、5月1日に山梨県笛吹市の農道で立ち話
  をしていた90歳の老女が、通り掛かった飼い主の
  連れていた土佐犬にかみ殺された事件
があった。
  この犬は2月22日にも、近所の人に噛みつき
  怪我をさせていた。 
これも、若しも超厳罰が待っていたならば、少なくとも
  二度目の事故は防止できたと私は考える。 
  現実は殺人であるのに、地元警察署は飼い主を
  逮捕するでもなく、事情を聴いているだけ 
、という。

何の落ち度もない人間の生命を奪うような行為に
  対して、法律が予防効果を考えない
     日本の法律家 というものに、
  私はどうしても敬意を感じることが出来ない。 

皆でもう少し論理的にものを考えること、法律の
  字句文言でなく、精神を大切にする社会を
  作っていきたいものである。

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