何が正しいか(3)

前回の記事に引き続いて、旧いブログ記事2編を紹介する:

     ★ ★ ★ (2) ★ ★ ★

ブログ開設一年を振返り{2}:[B-33]]、の内容抜粋である:
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普通の社会人は知らないが実は、科学・技術研究の第一線は、大学教授・助教授ではなく、助手でもなく、大学院の学生によって進められている
しかし、学会への参加費用の公費支給は、学生には認められていないから、
最新の研究成果を連絡し合うために学生・大学院生を学会へ参加をさせるには、彼らの出張旅費を、研究室の教授は工面しなくてはならない。
 そこで、いろいろと忍術が、使われる訳である。

毎年何件かの、「教授の悪行」、が暴かれる。
それらが、教授が私財を稼ぐ目的で法を犯したのでなく, 
この様な目的のための行為である事が、仲間内では良く分かるのである。
    ★ ★ ★
1945年ごろに、日本人一億人の中で、闇米を口にしなかったのは、唯独り山口判事だけであった。
 お巡りさんも、闇米を食わなければ、生きていない筈であった。 
しかし、路上で闇米を運んでいるのを、お巡りさんに見付かると、罰せられたのであった。 
自分の研究室(の大学院生)が世界の第一線から脱落して良いなら、教授は忍術を使わないで済む。
飢え死にして良いならば闇米に手を出さなくて済む。
  それは生き様の選択の問題であった。
{注:これが、 ▲ 何が正しいか(1): [B-181]、に書いた設問への直接の解答の一つ、であることは,お分かり頂けるだろう}
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☆ 「人肉を食った経験」、の喩え話はご理解頂けたと思う。
 マスコミに嗅ぎつけられたら大変な事実、
   [上記の「教授の悪行」の類]、が他にも幾つも有る。 
☆もう一つ実例を挙げる。
  20世紀後半の日本経済を支えた一つの柱である電子技術の第一線を担った人人の知識の源泉に、海賊判の洋書技術文献があった。
 これも恥しい話だが、事実である。   敢えて言うならば、
日本の企業研究所や大学教授に、彼らの払える金額で海賊判の洋書技術文献を提供して、逮捕されたT氏などは、見方に依れば日本経済隆盛の恩人であった。
少なくとも、現在の日本の政治家、官僚やNHK職員よりも、遥かに社会に貢献した。
最近になって、中国で海外ブランドのインチキ模造製品が多量に出回って、国際的な批判を浴びているが、我々の世代は、余り大きな顔をして同調する気になれない、のである。
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☆ {中略}。 この種のことは、厳しい時代に実社会の第一線で、汗と油にまみれて働いてきた人には、誰にもあることである。
 民間企業で働いていたR君は、製造原価では2000円位のものを政府官庁機関に8万円で納入していた。
 材料費だけでなく、人件費から、銀行金利負担まで一切合財を含めての製造費が2000円のものを、である。
 出来る事ならば小学生の明快さで、その暴利を非難し、その様なことのない社会を願うのが真っ当である。
然し、私等には気軽にそれを非難する気になれない。
事情を知るが故の沈黙、である。

 少なくとも証券会社などで高給をむさぼっている連中よりも、彼らは遥かに国益に寄与していることを承知しているから。
「飲水思源」、と言っても分かり難いだろうが、
彼らがその様にして掘り当てた水、を飲んで育った子供が、親のその行為を気楽に非難するのを見ると、思いは複雑である。

     ★ ★ ★ (3) ★ ★ ★

上と同様に、 「何が正しいのか」の疑問を生じる具体例の話題を扱った記事として、我々仲間のブログ記事は、例えばキャズ君の
▲ 「研究環境」:[C-24] [2005/7/19]
等、その他にも多くあるが、スペースが余りに長くなるので、此処に内容の紹介は行わない。

政治家や官僚は、長期間に亘って無見識な「産学協力禁止」を押し付けていたものが、その誤りを知ったら瞬間的に「産学協力推進」へと切り替えて、済ましていることが出来る。

が、全宇宙の歴史の中でただ一度享けた人生を有効に使おうとしている研究者にとっては、戦時中に生まれたか、終戦後に生まれたかで運命が決定付けられたのと同様な相違になる。 
無言館に残る絵画を残して戦場に散った若者の気持ちに行く思い、(▲ 無言館、第二展示館:Alps[2012/8/21])、と相通ずる哀感を感じるのである。

東大副学長や、今回の京大教授は流れ弾に当たって傷付いて不幸であったが、意欲ある研究者は、法を犯す危険を顧みずに戦場で頑張っている。
 我が国の最高の賞、(具体的に言うと一発で判ってしまうから敢えてその賞の名称を秘すが)、を受けたA君が、嘗て友人のY君が具体的な問題で悩んでいた時に、「そのような場合は、皆がやっていることだから、・・・」と言って、違法な対策の提案を口にした。
 幸い、A君もY君も、その他多くの我々の周辺の研究者の全ても、ヤミ米を口にしたことを咎められることなく現役を引退することが出来たし、A君は最高の章を受けることが出来た。
「最上位の規範での、何が正しいか」を考え行動して、無事に引退出来たのだから、幸せである。

この記事へのコメント

Alps
2012年08月26日 12:12
お説を伺っていくつか共鳴点を感じます。
大学教授という歴とした肩書きを持っていても、本当にその使命を自覚し遂行しようとすると矢張り夫々の悩みがあるものだなと実感すると共に、その悩みを切り開いてゆく為に夫々身を賭して戦っている実態を垣間見る想いがします。
石原慎太郎氏が「愚かな役所の典型の文部科学省云々」と書いているのも頷ける。
「事情を知るが故の沈黙」は全くそのとおりです。企業においても、事情を知る者は沈黙か、言葉が淀む。それを消極的と解釈するか、何かがあると感じるかは感受性の問題に帰する。
現在生きている環境の影響は大きい。戦前戦後の環境を知っている者には頷ける。
H君のように潔癖さゆえに役員を目の前に逃した者と、Mのように引責すべき責任は総て部下に背負わせた者を目の当たりにした者にも、人間性という観点から同じような感慨がある。
でもどうやら生きているのは、幸せなことと考えてよいのではないか。

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