NHKらしさ、とは

2005年度4月からの「日本のこれから」という番組で第一回のテーマとして「格差社会」を取上げて放映した。
格好の良いことは言うが、
  本質的な、難しい部分は逃げてしまうNHK

らしい放映を見たので、今迄にも人に話した主張を、蒸し返します。
   ある参加者が、
「教育者の評価は、生徒が遥か後年になって、
  あの先生は良い先生だった、と分るのだが」、
          と言った時に、
司会のアナウンサーは、その部分の問題提起を避けて通ったのを見て、NHKらしいと感じた。

最大の困難に触れずに、
  「格差是正のために、成果の評価を公正に行なうこと」、
と綺麗ごとを謳うのがNHKであって、気楽な稼業だと思った



NHK的報道の一例
2005/2月14日のNHKで、青色発光ダイオードの話が報じていた。
東北大学の川崎教授グループの素晴らしい成果の紹介で、誠に嬉しい話である。
但し、此処で又、NHKの程度の悪さが気に障ったのだ。
報道機関としては、成果の素晴らしさだけでなく、
   何がその様な成果を産んだかを報じる義務が有る。
さもないと、その仕事は単発で終わってしまい、後が続かない。

成果を生み出すのは科学者、技術者の仕事であっても、
その土壌を用意するのは政治、官僚、マスコミを含めた社会全体の仕事であり、
夫々が守備範囲で努力しなければならない。
学問的に見て、あの研究成果を産み出したのが、川崎教授とそのグループの能力と努力、であったことは明白であり、それなりの報道に値する当事者であることは間違いない。

 しかし、社会的に見ると些か違う評価が有り得ると思う。
NHKの解説でも触れていた通り、
この研究成功の決め手は、教授が助教授、助手、大学院生などのメンバーの選任から、研究費までの全てを決めることが出来た体制、にあった。

世界的にも有名な、東北大の歴史有る金属材料研究所、でのこの研究ではあるが、最初からその様な仕組みがあった訳でなく、
西沢潤一学長がこの様な体制を作ったために、この成果が生まれたと見れば、最大の功労者は西沢氏である。

従前の国立大学では、やる気の有る研究者は、研究そのものよりも、他の部分でエネルギーを消耗し切っていた。
今後も国立大学の民営化という形式の変化、だけで実質的な改善が行なわれるとは、私にはトテモ思えない。
 それを支えるのが、メデイアの仕事であろう。

私費と違法に支えられていた日本の大学の研究
☆①:米国では大学教授が研究費は、物品の購入だけでなく、人件費にも、外国出張旅費にも使用できる。 教授の責任と判断によって、最大の成果を生み出す為に、最も有効な方法で使用される。

一方、日本の国立大学や官庁研究所では、研究費の使用は細かな規則に縛られていて、人件費・旅費などへの使用は論外であり、物品の購入さえままならない。
物品購入の可否を決めるのは、研究室の教授ではなくて、会計課の事務官であった。


このため、しばしば妙なことが起きた。
只でさえ、米国の大学教授に比べて秘書など研究補助者が少なくて、雑用に時間を取られる日本の体制の中で、意欲的な教授は、研究に充てる時間の10倍以上の時間を事務屋の説得に費やし、能力と時間のムダ使いを強いられていた。
 恐らく今後も実質は変わらないであろう。

バイオの研究が今ほど華やかになる前の1970年代、この方面で先端的な研究に着手していた某大学のA氏が、
イカの神経を使用する生化学の基礎研究を企てて、イカを研究費で購入する手続きをしたら、『さしみにして食う疑い』、をかけられて、大学の会計課に購入を拒否された
彼は毎朝自分の小遣いでイカを買って研究を進めていた。


某大学のB教授は電気冷蔵庫の購入を、『目的はビールでも冷やす為ではないか』、と会計課の役人にかんぐられて認められなかったので、私物の冷蔵庫を研究室に持ちこんで研究に使用していた。

しかも私物を研究室に置くのは違法行為だから、毎年会計検査の時期になると、重い冷蔵庫を自宅に運んで、検査に引懸らないようにするのが大変
だった。


 事務官は、
「研究ができるか、できないかは私は知りません。
 しかし、さしみを食われたり、ビールを飲まれては、私の責任になります」、
言う。
研究の進まないことは事務官の責任にならない。
ここに日本の役所に共通の一つの問題点があった、と私は思う。



1990年代には、イカを研究費で購入することも、研究室に電気冷蔵庫を設備することも、事務的な困難が無くなった。
 しかし、これは問題が解決したのではない。
これらが研究手段の常識になったから、事務的な困難が無くなったのであって、
先端的な研究に着手して、前例の無い事をしようとすると、同種トラブルが必ず発生した。

1970年代でも蛙を買うのは問題は無かったが、イカだから問題になった。
問題の根本は、意欲的な研究者を無見識な事務屋が管理するというシステムにある。

一般の民間人の方はご存じないだろうが、たとえ研究目的に感動した善意の市民が寄付した研究費でも、一旦納入されれば、それは研究者でなく、会計事務官が管理し、支出の決定をする事になる。
(研究とは前例の無い仕事をするもの、と思っている)研究者が必要と判断しても(前例の有ることが判断基準の)事務屋が拒否すれば使えないシステム、が問題なのだ。
 世間では大学教授とは偉いものと思っているようだが、制度的には、ただでさえ3流官庁の評価の有る文部科学省の、その中でも官僚と呼ぶほどの存在でない末端の事務屋の方が強力なのだ。 
教育用の分子模型を作る目的でゴルフボールの購入伝票を出したら、会計課に疑はれて買って貰えなかった、などの話は大学には幾らでも有る。


 無用な役人の存在は汚職役人よりもタチがわるい。
そのため意欲の有る研究者は、例えば上記の例のように、私物を研究室に置くような違法行為をするか、研究を諦めるか、の選択を迫られる、という矛盾を生じる。

(研究出来なくても良いが、違法行為はしないと、したり顔で言う教授も居るが、研究しないなら給料も貰うべきでなかろう。 
彼等は年間数百万円の給料を泥棒するだけでなく、現場の仕事の邪魔し、研究者の精神衛生に負担を掛ける)。
研究費の多少よりも、このような研究環境の問題が重大である。


☆②:例えば、横浜の産婦人科医院で胎児遺体の処理に問題が有った、とか東大の副学長の教授が科学研究費の不正処理をしていたことが発覚した、といった新聞記事が出ると、若い人は”怪しからぬ奴が居る”と考えるのに対し、年配者は”何百人の同様な行為をしている中で、不運な奴が尻尾を掴まれた”という見方をするものです。

たとえ何百人に一人であっても不正を捕まえることは必要だし、それを報道することは重要な意味のあることです。
 しかし同時に、不正の種類により社会的な意味合いとか重大性が異なることを、我々は良く配慮すべきだと私は思います。
私物の冷蔵庫を研究室に持ち込むという『違法行為』を問題にするのが正しいことでしょうか


☆③:制度的に不正をしなければ研究が出来ない状況の中で私の知っている何百人の大学教授が法律的には不正を働いているが、私の知り合いでは唯の一人も問題化したことは無い。 東大副学長は実に不運であったと思います。

マスコミがこの種の問題を取り上げる時は、権力者の収賄とか個人的なねこばばしたという事件とは別のアングルから、つまり個人的な不正よりも、それをせざるを得ない研究環境といった視点から取上げて貰いたいものです。

格好の良いことは言うが本質的な、難しい部分は逃げてしまうNHKらしい放映を見たので、今迄にも人に話した主張を蒸し返しました

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