人間の評価に就いて(4)春の叙勲

この「人間の評価」シリーズを書き始めた途中で、他用を生じて中断しているが、この問題の関係で、不完全な記述であっても一応メモを残して置かねばならぬことが生じた。 後に記述に手入れするとしても、日時の関係でメモだけを、差し当って残すことにする。

4月29日付けで政府は春の叙勲受章者4047人を発表した。
叙勲は大綬章から始って、以下、重光賞、中受賞、双光賞、単光賞、の名称の上に、桐花の付くもの、旭日の付くものと、瑞宝の付くもの、といろいろ有って、どれが偉いのかどうなのか、こういう事に無縁のこちとらは良く分からない。
兎も角、人数が少なくて、民間人が居ないいのが偉いのだろうから、その心算で見ると、最上位の桐花大綬章は一人、旭日大綬章が(日本人6人、外国人4人)、である。

処で、その最上位の桐花大綬章の受賞者が村山富市氏であることに、私はこだわらずに居られない。
一体誰がこの様な決定をし、また、本人はどの様な気持で叙勲を受けるのであろうか


前回、[B-30]:「人間の評価」に就いて(3) 、に書いたように、
「叙勲制度は人民の平等に反すると言って法案に反対して、国会で法案の成立を阻止した社会党の代議士達の殆ど全員が、その後、生存者叙勲を受けた」
ことに、私は深い憤りを覚えた。

そこで、候補者として打診を受けても叙勲を辞退した、ごく少数の例外的な元社会党代議士、の名前を、あのブログ記事の中で、記録に残したのであった。
あの記事を書いた時に、「駄目なモノはダメ」であった筈のオバサンも、モノに依ってはダメでないと考える事は分かっていた。
  だが、村山氏叙勲、は幾らなんでも酷過ぎる。



村山富市の名前で私が先ず思い出すのは、阪神大震災の時に、彼の判断ミスで何万人の人命が失われたか、という事である。
これは叙勲制度に反対した、等といったレベルの問題ではない。 例えば、小沢なり、石原なりが首相だったら、助かった命である。
阪神大震災の時に、首相の座にあった彼が海外からの緊急援助を断り、被災地への救助隊の通行を確保しなかった為に、死なずに済んだ筈の人が、どの様な思いで死んで行ったか


この叙勲の発表の日に、叙勲者を伝える新聞の同じ紙面に、米国大統領が拉致被害者家族の横田さんと、面会した事が写真入りで報道されていた。
そして、思い出すのは、金正日が拉致を認めた後までも、社民党は「拉致などという事実は存在しない」、とホームページで主張し続けていたことである。(嘗て、村山が党首であった党が、こうだから、彼が拉致被害者救出に反対なのは勿論だ)

この様な叙勲対象者選定(「人間の評価」)をする官僚の在り方に「またか」と思わずに居られない。

そして、毎度口癖の様に言うことだが、それを指摘しない日本のメデイア人種に失望、などというのでなく、心からの憤りを覚える。

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