人間の評価に付いて(6)秋の叙勲

本日2006/11/03、秋の叙勲(4028人)が発表された。
今回の最上位の桐花大綬章の受賞者は、元経団連会長平岩外四氏(92)であって、授賞理由は、「産業経済の発展等に貢献」、となっている。

春の叙勲の時の感想は、「人間の評価」に就いて(4)春の叙勲[B-39] 、
   に書いた通りである。  また、
毎年、春秋の叙勲を見て、虚しい気持ちになることは
既に、「人間の評価」に就いて(2)極端な事例 [B-29]、
    「人間の評価」に就いて(3) [B-30]、
に述べた。

平岩氏への叙勲に付いては、私は意見を差控える。
前回(春の叙勲)の最上位の桐花大綬章の、受賞者が村山富市氏であることに、私は大層不満を感じ、一体誰がこの様な決定をし、また、本人はどの様な気持で叙勲を受けるのであろうか、と書いた。
その前の回,(昨年秋)には、桐花大綬章の受賞者は居なかった。
平岩氏への叙勲が、「春の村山授賞で批難があったので、今回格好を付けた」、のでなければよいが、と思うだけである。

桐花に次ぐ旭日大綬章の受賞は元最高裁判事・梶谷玄氏、瑞宝大綬章の受賞者は6名居る。   物知らずな私は、この方々の業績を全く知らない。
次のランクの重光章の受賞者12名も、同様である。



逆に、その次の中綬章の受賞者になると却って、
「ああ、あのお仕事をなさった方か」、と納得出来る名がある。 例えば、服飾デザイナーの芦田淳さん、等である。
またご本人に付いては何も知らないが、経歴・肩書き等を見て、恐らくそれなりの貢献を社会になさったに違いない、と納得出来る方が多く居る。

 一方、逆に肩書きからは、全く叙勲の理由が、推測出来ない人物も居る。
例えば、最近何回かの叙勲を見ると、県議、市長、市議、町村長、という肩書きの人が夫々、毎回数名、中綬章の受賞者に含まれているが、少し不思議な気もする。
以前は一つの相場というものが有って、県知事なら ・ 、国会議員を何期務めると ・ 、といった相場で、市議、村長は勿論、県議でも中授賞は考え難かった。

肩書き等と無関係に評価が行なわれて、中央官庁事務次官クラスの名前と、市会議員とが、同列に並んでくるのは望ましい事だから、自分が知らない人のことは言わない方が良いのだろう。
但し、素朴な感想としては、市会議員の受勲者が有るのならば、人数的にそれよりも多い筈の、八百屋さんなど商店主が居ないのは、何故だろう。
また、市長の肩書きの人の数が此処3回ほどは、毎回少しずつ増えているのは、裏で、あのような事があるのではないか、と下司の勘繰りをしたくなる。

以上は中綬章の受賞者リストを見ての感想だが、その下のクラスに行くと受賞者人数も多くなるし、更に物思う事が多くなる。
例えば、旭日小綬賞の二葉百合子さんの歌った「岸壁の母」が、半世紀前の日本国民を励ました功績は、中綬章を受賞した、何処かの名前も知らぬ市の市議さん、よりも大きかったのではないかと、思ったりする。


トーキングマイノリテイ氏のように、
「我国の国民栄誉賞は受賞者よりも、賞を与える政治家のためにある、ようなものである」
トルコ初のノーベル文学賞のコメント、 ←  不良が他所のブログを[A-35] )、
 と正直に言ってしまっては、実も蓋もない。 が、でも
どうせ実際は、代議士の口利きで叙勲、授賞が影響されるのだろうから、・ ・
市長、町長,村長、と言った肩書きが異常に多く目に付くのは、選挙地盤の関係で推薦して・ ・ ・ 、と下司の勘繰りをせずには居られない。
然し、此処でその議論を展開するのは控える。

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★今回の叙勲発表の寸前、10月30日に漢字研究者、白川静氏(96)が逝去された。 2年前に、文化勲章がぎりぎり間に合って良かったなあ、と思う。
日本が米国と戦った事を知らない人が38%というように、最近の人達は日本の歴史も良く知らないから、この機会に、
昔はどの様な方が、どの様な叙勲を受けたかを書き記しておきたい。
先般の靖国合祀の議論を見ていても、A級戦犯の具体的行為を知らない人も多いと感じるので、松前重義氏の例を最初に示す。
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★一般の人に分かり易い言い方としては、東海大学の設立者の、
松前重義氏は昭和46年秋に勲一等瑞宝章である。
松前氏の無装荷ケーブルの提唱と実用化は、電気通信事業に、わが国独自の技術を、始めて全面的に導入したものであった。
氏は逓信省工務局長時代の、昭和16年に太平洋戦争に突入したわが国の将来を憂いて、戦争の早期終結を主張したため、東条首相の逆鱗に触れ、陸軍工兵隊の二等兵として召集され、南方最前線に飛ばされた。
辛苦を経て九死に一生を得て内地に生還し、昭和20年8月には逓信院総裁になり、昭和27年に東海大学を設立した。

教育事業の重要性に信念を持ったのは、内村鑑三の影響である。
当時の勲一等瑞宝章は、今回の瑞宝大綬章に相当するクラスと考えて、
官僚としての職を賭し、生命を危険に曝して、業績を上げた松前氏と、今回の受賞者の顔ぶれと比較すると、随分と貨幣価値の下落を覚える。
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★ 岡部金治郎氏は、昭和44年秋に勲一等瑞宝章である。
氏の多くの業績の中で最も有名なのは、大正の終わりから昭和に掛けての、分割陽極マグネトロンの研究で、全世界を驚嘆させた偉業である。
私は今でも、家庭で電子レンジを使う度に、岡部氏に感謝する。
岡部氏は、昭和44年秋に勲一等瑞宝章であるが、昭和19年に文化勲章を贈られている。
岡部家三代に亘る、電子工学への寄与は余りに有名であっても、金治郎氏の経歴は、若い人は良く知らないかもしれない。  注釈を付けて置く:

金治郎氏は大正5年に名古屋高等工業学校、紡織科を卒業、東北帝国大学理学部に進学、工学部に移って、大正11年に電気工学科を卒業された。 東北帝国大学から名古屋高等工業学校を経て昭和11年、大阪帝国大学理学部に八木秀次先生の要請で迎えられた。  昭和31年に阪大を定年退官後は、近畿大学教授として昭和47年まで後進の指導に当られた。

人類滅亡論[1]人知の限界 ◆超科学(1)[C-2]: に有るように、晩年は神秘現象に深く関わられた。  昭和46から昭和57に掛けては、「死後の世界」、に関する推理科学書を相次いで出版し、新しい考え方を提唱された。
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これ等の、往年の叙勲受章者に較べて、最近は相場が落ちた。

★ 金子智一氏は、勲四等旭日小授章であった。
勲何等というのは、2~3年前に無くなった制度だが、相場として勲四等は、大体現在の中綬章~小授章のクラスと見てよいであろう。
「縁」に就いて(5) 金子智一、佐藤嘉尚[B-49]、に書いた通り、ユースホステル運動、ウォーキング協会、にあれだけの功績があり、
インドネシアからは最高功労勲章、「ナラリア勲章」、を授与されている人物が、
最近の市議さんと並んでウォーキングしているのである。  本望かもしれない。
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中綬章の受賞者に、叙勲の理由が分らない人物も居る、と書いたが、それは恐らく、私がご本人を知らぬためだろうから宜しい。
しかし明白に、本人の現役時代の所業で、誠に許し難い実績のある人物、をこの秋の叙勲者名簿に見て、酷いものだと思った。
昨年の村山氏批判の様に、今回も書いたものかどうか、只今、迷っている。

日本国の出す叙勲に最も相応しい杉原千畝氏へは、叙勲は愚か、外務省がその名誉回復をしたのが、 2000年10月10日になってからである。 → →
「人間の評価」に就いて(2)極端な事例 [B-29]}
その様なようなお国柄なのだから、今更、仕方がない、と思ったりもする。

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