責任の所在

バンクーバー・冬季オリンピックで、スノーボード・ハーフパイプ・国母選手の、
現地入りするときの服装が非常識だと問題にされ、
日本ではマスコミだけでなく、文科省の大臣までが非難した。

それに対して国母選手が、“反省しています”、と言ったところ、その発言態度までが、更に非難された。
私はこの競技を良く知らないし、まして選手については何も知らなかったが、事件の報道をテレビで見ていて、酷い選手を国の代表として送り出すものだな、と感じた。

しかし、その後の報道を見ると、本人は口の利き方は無口でぞんざいであり、態度も一見ふてぶてしく見えるが、
     心の奥底は優しい人物のように見える。
若しもそうだとしたら、その周辺にいる人たちに、かなり責任がある

基本的な躾、口の利き方、などは、
     産んで育てた親や小中学校の教師の責任である。
スポーツを愉しみ、技術を磨くのは本人のすることであるが、
選手として選び出し、国際競技の場に連れていくについては、それを決めた人々の責任がある。

晩秋氏(★ 参考)が言っているように、朝青竜だって
根は優しい人物であったのを、相撲協会や親方が利用して食い物にしたために思い違いを生じていたとさえ見える。
若しも周囲が適切な教育・指導をしてきたら、朝青竜は相撲の歴史に名の残る、幸せな人生を歩めたかも知れなかったと考えると、
本人は寧ろ被害者なのかもしれないのである。

そして、今回の国母騒動を見ていると、ここでも同じことを感じる。

★ ★ ★ 参考 ★ ★ ★

   ▲” 弟子の養成(1)相撲界
   ▲” 弟子の養成(2)将棋界
   ▲” 弟子の養成(3)社会の慣性

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