NHKのドラマ「花子とアン」の背景

好評放映中のNHKの連続TVドラマ
   「花子とアン」の視聴メモである。
原作は、村岡恵理の「アンのゆりかご」、 
  原作者=村岡恵理は、花子の孫にあたるらしい。
 
「赤毛のアン」の翻訳者、 村岡花子の生涯
     を描いたドラマらしいが、
それを知らない私にとっては、
   実話とドラマの脚色との区別がつかない。
 ドラマ視聴と、インターネット検索の結果
   を纏めたメモを此処に残す。


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「花子とアン」の、花子の父親は貧しい小作農家だが、
   我が子の非凡な才能を見抜いている父親の、
   花子へ対する深い愛情と先見性が感動的であり、
親が子どもの特性を生かし、才能をみつけ、どう育むかが、
   子の人生を左右することを思わせる。


ドラマの中で吉高由里子の演じている安東はな、が
   村岡花子の史実をモデルにしていることは明白
当時の花子と同じ学校に、
   柳原白蓮(伊藤燁子「あきこ」: ドラマの連子のモデル)と、
   芥川龍之介の晩年の恋人、
       堀辰雄の「菜穂子」に登場する片山廣子、 
   が在籍していたことも、初めて知った。


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村岡 花子の略歴、をウィキぺデイアから転載する:

村岡 花子 (安中はな 1893年(明治26年)6月21日 - 1968年(昭和43年)10月25日)は、山梨県甲府市で生まれた翻訳家。
 児童文学の翻訳で知られ、代表作『赤毛のアン』翻訳
基督教文筆家協会初代会長(在任、〈昭和27年〉6月 - 〈昭和33年〉10月)。
 配偶者:村岡儆三。
 子供: 道雄(長男・早世)、
      村岡みどり(養女:妹・梅子の長女)

安中はなの家族の生活は困窮しており、8人きょうだいのうち高い教育を受けたのは長女のはなのみで、他の弟妹は次女と三女を残して皆養子や奉公などで家を出されている。はなの入学は、弟妹たちの犠牲の上に成されたものであった。
1917年から、東京・銀座の出版社である教文館に雑誌の編集者として勤務。
 既婚者でもあった村岡儆三と出会い、
    不倫の末、1919年に結婚し、村岡姓となる
 1920年に誕生した長男・道雄を、1926年に病で失う。

1927年、片山廣子の勧めにより、マーク・トウエインの『王子と乞食』の翻訳し、平凡社から公刊。
1932年から1941年11月まで、ラジオ番組『子供の時間』に出演、「ラジオのおばさん」として人気を博した。
長男の病死後、子供に恵まれなかったので、花子の直系子孫は存在しない。
後に、妹・梅子の長女・みどり(1932年生)を養女とする。
みどりの娘で花子の義理の孫にあたる村岡恵理は、赤毛のアン記念館館長。
1963年、夫を喪う。
1967年、米国を訪問]。
1968年、脳血栓で死去。

村岡 儆三(けいぞう、1887年〈明治20年〉- 1963年2月6日)は、出版業者、印刷業者。
横浜市出身。 父は聖書印刷で知られる村岡平吉。
母方の従姉妹に社会運動家の賀川ハル(同じく社会運動家の賀川豊彦の妻)がいる。

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ドラマで吉高由里子の演じる安東はな
- - - - - は(村岡花子をモデルにしている)
ドラマでの炭鉱王・加納 のモデルは(伊藤伝右衛門
ドラマで仲間由紀絵が扮する、加納に嫁ぐ葉山連子
- - - - - のモデルは (柳原白蓮(伊藤燁子))

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戦争で長男・香織を失った燁子(白蓮)は平和運動家として全国を行脚する。

平成8年、燁子の長女・宮崎蕗苳が地元の招きを受けて、初めて飯塚市の旧伊藤伝右衛門邸を訪れる。 取り壊される寸前だった旧伊藤邸の保存運動が2002年から行われた。 旧伊藤邸は2007年に一般公開され、公開記念式典では、
来賓の伝右衛門の孫(娘・静子の子)である伊藤傳之祐と、燁子の孫・宮崎黄石が対面して握手を交わしている。
2011年(平成23年)にも伝右衛門邸で行われた柳原白蓮展に蕗苳が招かれている。

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